キジしろ文庫

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京極夏彦「陰摩羅鬼の瑕」(下)

あらまし

「薫子さんは―。必ず僕が生かして戻します」。またしても惨劇は繰り返されたが、「鳥の城」に辿り着いた京極堂は伯爵にこう断言した。驚嘆する周囲をよそに、語り出した京極堂。少しずつ明るみになる犯人像。「それでも人は自分の真相を知りたがる。だから僕は来たのです」。京極文学の新境地、ここに完結。  (文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:星1

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 3/3分割です。

 私たちは、生きることでしか死を認識できないし、死後の世界は生きる者の中にしかありません。しかし、それは説明できない不可知な領域です。人生は、論理立てた固定的なものでなく、流れや旅といった動的なもので、目まぐるしく自分も周囲も変化しているものなのでしょう、と思いました。さて、由良伯爵の暴走は以下のようになります。

    由良昴允伯爵は、徹底的に儒学の考え方(家長制、年功序列、男尊女卑、職業序列主義、学歴偏重、個人の軽視など)を叩き込まれ、閉ざされた館や人のなかで育ちました。これにより、①死の概念や②家族の在り方が一般と乖離した論理を構築し、中途半端な世界認識を持ってしまいました。したがって、婚姻という異なる世界観の接触や混交に伴う異常反応が23年間、5連続殺人となって続いてしまっていた、ということでした。

①人の形を留めている限り、それは人として生きて居ること。(死体という概念が欠落しており、生命のあるなしではなく、在るモノは生きて居る・死んでしまったモノは無い。たとえば、死体は在るから生きている、机は在るから机として生きている)

②家長のみが意志を持つ特別な存在であること。(たとえば、家長以外の妻や家族は意志を持たぬ同居人にすぎず、母の剥製のように動かぬ者でしかない)(2020.07)

では、また!