キジしろ文庫

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京極夏彦「塗仏の宴 宴の始末」(下)

あらまし

「愉しかったでしょう。こんなに長い間楽しませてあげたんですからねえ」。宴の“黒幕”は笑った。かつて戸人村でおきた事件の真相、十五年後の再会に仕組まれていた邪悪な目論見、そして囹圄の人たる関口巽は助かるのか…。事件のすべての謎を明かした果てに京極堂は時代の勢を察す。時、まさに昭和二十八年。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 本書では、人の本性を解き明かしたうえで、論理的一貫性のない矛盾する心を合わせもつ感覚が、無自覚に個人に存在していることを語っているのだと思います。

 若干のコメントを述べさせてもらえるなら、このような矛盾は、寂しい、嫌われたくない、認められたいと願い、他者の人生を歩むことで、自己への執着心を満足させようとする代償行為になるのかもしれません。なので、「それが嫌なら、出会いや場所を探し求めて動けばよいのだ」といった、身軽さや軽く考えることが良いのだと思います(自己中心に過ぎれば、その考えも受け付けないのでしょうが)。あるいは、見方を変えて、幸いなる偶発を見逃さないようにしたり、遊び感覚でいろいろ試しみて、成り行きを見守るといった、第三者の介入を大切にすることになるのだと思います。

 さて、以下に、最終巻含めた全6巻の流れの中で、細かな点はさておき、大きな着眼点をまとめました。

①不老不死の仙薬(くんほう様)や記憶の操作(催眠術)による諍いや争いの回避(幸せ)の欲望満足がキッカケですが、状況の進展とともに本来の目的は失われ、別の意味をもつこととなること。

②状況によって人を好いたり嫌ったりなど矛盾する人の心を欠陥ととらえ、善悪正否などの一貫性や普遍性のある論理や価値判断を排除したうえで、矛盾の前提条件(しきたり、義理、恩、世間体、親子関係など)を取り払った時の、人の本心の指向性に関する実験の成功(徐福の足取りを伝える村上家の解体)

③佐伯家の解体を進める中で、甚八による初音凌辱と殺害のアクシデント発生、そして藍童子の出生。尾国の母性への憧憬と家族への執着に伴う佐伯家への憎悪と嫉妬、これによる家族・村民鏖殺の記憶刷り込みの懲罰といった、「情に溺れる」事態の具現化。

④記憶の操作によって理性(自我、個、自由意志)を失せれば、欲望や畏怖・恐怖にかられてしまい、獣や虫けらにも等しいクズと化して争い合う生物的な人間(佐伯家やその参謀たち)に対する堂島元大佐の蔑み、さらにこのようなゲーム化することで人の心を弄び嘲笑い、自己の支配欲や嗜虐心の満足。

⑤曖昧で矛盾した人間の人格への尊厳(「罪を憎んで人を憎まず」など)。(2020.06) 

では、また!