キジしろ文庫

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三浦綾子「塩狩峠」

あらまし

 結納のため札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車が、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れ、暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた…。明治末年、北海道旭川塩狩峠で、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う長編小説。 (文庫本裏表紙より)

よみおえて、おもうこと 

 雑感・私見レビュー:星1

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 本書からは、束縛や阻害、不平等などの理解や、自由や平等を求めても、価値観や信念などの違いから現実そうはうまくいかないことを、一方的に不条理や理不尽ととらえ、しかし、それを、神への信仰に置き換えることで解決(阻害や矛盾が表出しない)できるようになるなど、不信心者にはたいへん勉強になりました、感謝です。以下、箇条書きでコメントです。

①絵に描いたような模範生を描いた信徒向け説話教本です。とにかく、最後まで逆境・不幸・悲劇・困難・誘惑(迫害)に巡り会い、また自らも選択し、葛藤・悩み、迷い・不安や怖れを抱きながらも、信仰によって乗り越えていきます。たとえば、

・母のいない仏教で元士族の家庭、子供を捨て信仰を選択した母、生まれつき脚が悪く肺病でカリエスの女を好きになる、唯一の友人のDVと借金が原因での突然の引っ越し、祖母や父の突然の死、進学を断念して母妹を養う、窃盗・傷害をした幼なじみとの再会、女遊びや上司の娘との縁談という誘惑、給料泥棒した同僚の更正とその時における信仰への嫌疑・嫉妬、列車暴走に伴う自己犠牲(イエスのごとく罪深さを背負い隣人愛を実践)。

②次に、キリスト関係との出会いと実践、そして帰依し牧師となります。たとえば、

・祖母からの迫害を憎むという心を責める母の気持ちを表す言葉「汝を責むる者のために祈れ」や、主人公の自らの職場などを振り返るなどの罪の意識の醸成。

・小説「無花果」(女色などの罪を暴く醜さを恥じた言葉「義人なし、一人だになし」や、牧師ですら、ともすれば思い上がりという不信仰に気付けず亡くなってしまうという信仰の困難さを著わす)との出会いという、信仰への引き寄せ。

・生死や愛について友人と論じ、やがて、聖書や伝道師を通じて、敵を愛して死ぬことのできたイエスに終に感動。

・冷遇される給料泥棒を助けても、受け入れられず、逆に怨みや妬みをかい、それを憎んだことは、神の子となって隣人を見下す傲慢さだ、という罪深さを自覚のうえ受洗(信仰実践)。

③今度は、このような主人公の永野信夫を中心に見てみましょう。主人公は、担任の先生、友人の妹など手近なところに敏感に反応してしまう無垢なエロガキ時代と、性欲処理を真剣に悩むオクテでキモイ青年期を過ごし、上司の娘によろめきながらも女遊びもせず、つくりだした妄想のなかの美化した女性を思い続け、手にできる直前に亡くなってしまうという、愛欲にまみれる欲望はあるものの臆病で友達も少ない内向型、道徳的で禁欲的な自制心がとても強い人のようです。本書は、恋愛や性をエサにちらつかせながら、しっかり毒が盛られています。気を付けるべきでしょう。

④さて、生死や愛欲、いじめや弱者などの問題に、理性や知性でもっても対処しきれず挫折したときは、日常の個性、価値観などの自我や人格、思考や自由意志を放棄・喪失・崩壊させ、代わりに非日常の信仰による支配と従属により、その身を任せた心地のよさは格別なものとなるのでしょう。

 しかし、それにしても、本書の予定調和の美談、サクセスストーリーには心の従順さや素直さや、萎えたり・弱ったり・また寄りすがろうとしている心が必要だと思います。そのうえで、苦難に際しての折れない心の強さ、その生きざまの美しさや悦びにも満ちた姿やかたちを見せることで、藁をもすがる、現実から逃げ出したい気持ちに溶け込み始めますし、引き込まれてもいくのでしょう。

⑤また、本書では、原罪や愛などを起点に「憎むな・恨むな・赦せ、祈れ・愛せよ(最も大切なもの(命)をあげること)」」と価値観のすり替えを行う奴隷道徳(弱者スタンダード、強者を否定する)が書かれています。これをとやかく言うつもりはありませんが、現実的な対処や改善・努力はまったくありません、だから信仰すればよいという観念の世界に進むのみであるところが、信仰の書だと思うゆえんのひとつです。

⑥最後に、訳もなく、嫌な思い・困ると感じることを執拗に陰湿に、すりよりからみつき、さらにこの気持ち悪さにまたイヤなる。同様に、脅したり、煽てたり、挑発したりと、ありもしないいいがかりをつけてくる、やりこめようとする。さらに、手を変えて、誘惑や罠をしかけてくるなどし、貶め・引きずり下ろそうとする。このような理不尽・不条理な関係は、怒りや憎しみ、傷つき・凹み、助けを求めようとする心をもちます(精神の不安定に意を注ぎ疲れ果てていくことは、既に、ゆすりたかり同様の人格や人間性の侵犯、略奪や束縛の始まり)。

 すなわち正義や道徳などの理性や知性、豊かな感性の欠片もなく、本来自分の問題を、安易に対人関係に持ち込み、すり替えることで自己満足させようとするのは、拗ねたり妬んだり、身勝手であさましく卑しい傲慢さや思い上がりといった未必の悪意や業といったものの存在だと思ってしまいます。しかし、それは自分自身も同様だと気づけることは、本書の良いところだったと思います。(2020.06)

では、また!