キジしろ文庫

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サマセット・モーム「人間の絆」(下)1/3

あらまし

 イギリスに戻ったフィリップの前に、傲慢な美女ミルドレッドが現れる。冷たい仕打ちにあいながらも青年は虜になるが、美女は別の男に気を移してフィリップを翻弄する。追い打ちをかけられるように戦争と投機の失敗で全財産を失い、食べるものにも事欠くことになった時、フィリップの心に去来したのは絶望か、希望か。モームが結末で用意した答えに感動が止まらない20世紀最大の傑作長編。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★★★星5 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 以下は、備忘のための簡単なとりまとめです、参考まで。

(1)日常の恋愛よりも、ロマンティックな恋愛観の選択と絶望

 既に病院で孤立していたフィリップは、傷付けられた自尊心と惨めな気持ち、自分への軽蔑、ミルドレットとの思い出に頭がいっぱいでした。そこへ、やってきたハイデルベルク時代の友人と本や絵、道徳や人生を語り合い、ロンドンの美しい景色に夢想しながら、みっともない愛への屈従や憎悪を振り返り、6カ月間の愛という狂気に心の整理がついてきました。

 その関係の中で出会ったのが、夫と別居中で通俗小説を書き、エキストラもして生活を凌ぐノラでした。ノラは、感じのいい顔だち、笑いをたやさず溌剌とし、悩みも聞いてくれるなど、フィリップはすぐに共感し、ふたりは恋に落ちました。フィリップは、母性的で家庭的、たくましく健康、やさしく活発、楽観的で陽気なノラとは、性的な関係よりも魅力的な優しさのある友人であって、自由を感じていました。

 やがて、ハイデルベルク時代の友人ヘイワードたちとの酒場での会話をし、株の仲買人で哲学者のマカリスターとも知り合います。そのなかで、自分の定めた理論といった理性よりも、ミルドレットを追いかけた熱い狂気は、経験のない力に衝き動かされ、生の実感や生きる喜び、魂の切望があったこと、だが、今はそうした生の充実がないことを感じてました。そして、自由意思の議論に及び、フィリップは、

P39 「(前略)自由意思という幻想は自分のなかで非常に強く、それから逃れることはできません。だけど、それは幻想にすぎないと確信しています。ただ、それは自分の行動の強い動機のひとつでもあるんです。何かをしたいと思うときは、自分でそれを選んだつもりでいるし、それが自分の行動に影響をおよぼします。ところがいったん事が終わってみると、それは元からそうなるしかなかったように思えるんです」

 やがて、インフルエンザにかかってしまったフィリップは、同じ下宿のたくましくも女性的優しさをもつグリフィスから看病され、親しくなります。いつも陽気で快活なグリフィスは、恋愛好きで、いかがわしい・うさん臭い人が好きで、風俗にも友だちがいるといった頭がからっぽな人間です。

 こんな平穏な日常を取り戻したフィリップの元へ、突然、ミルドレッドが現れます。結婚したはずのミルドレッドは、実はミラーは既婚者で、金で釣った浮気の相手がミルドレッドということでした。ところが、その浮気が妻にばれてしまい、ミルドレッドが妊娠していたことを告げたとたん、けんかとなって逃げてしまい、ミルドレッドは身重のために生活に困ったということでした。そこで、フィリップをたよりにしてきたわけです。フィリップはかわいそうにと思い、部屋などの用意や出産費・生活費などの面倒も見始めるなどし、ミラーへの嫉妬はあったものの、それまで感じたことのないほどの愛情が再燃します。

 そして、冷淡、だらしない、低俗、愚か、貪欲なミルドレッドに全身を奪われるほど、ミルドレッドを愛しているフィリップは、賢く、性格も良く、親切、勇敢、正直、愛してくれ、幸せになれるノラに、別れを告げました。ノラは、自分ほどフィリップが愛していないことに涙し、ミルドレッドとのよりが戻ったことにショックを受けても、フィリップに気遣いしながら、去っていきました。フィリップは、重いわだかまりや自責の念がわきましたが、すぐに、ミルドレッドへ愛を示すことができることをうれしく思いました。(ミルドレッドとの破局後に、復縁を持ちかけましたが、ノラは既に婚約済みでした)

 その後、フィリップは、ミルドレッドの部屋に通い詰め、生まれてくる子どもの養育費の面倒もみれることにも喜びます。やがて、ミルドレッドの方も暖かみや優しさをみせはじめ、フィリップは愛の喜びに幸せを感じ、焼き尽くすような自己犠牲の欲望をかなえます。フィリップは、無事に出産を終えたミルドレッドにパリ旅行の約束をし、既にミルドレッドとのことを話していたグリフィスとともに3人で食事や芝居を見にいきます。すると、ミルドレッドとグリフィスは惹かれあってしまいます。口では趣味じゃないといったグリフィスですが、フィリップに隠れてふたりは食事をしたりします。フィリップはミルドレッドに、自分を裏切ったひどいグリフィスなじりますが、「パリ旅行をやめる、あなたは好きだけど友だちとしてなの、あなたとは無理。しつこくつきまとうし、触られるのもイヤ」など、バカにされうんざりし、パリへ行かないならコレっきりだと、フィリップは啖呵を切ります。

 しかし、借金のあるグリフィスから、お金のために、また、不誠実なことをしないために、パリに行くよう言われたミルドレッドは泣き崩れます。このミルドレッドの狂おしいほどのグリフィスとの愛への身もだえに、フィリップはグリフィスとの旅行を、そして終わったら自分の元へ戻ってきてくればと良いといい、すすめました。そして、ミルドレッドは、この旅行後は好きになると言って、喜びます。しかし、既にフィリップのことは消えてしまい、グリフィスのことしか頭にないミルドレッドに気がついたフィリップは、とたんに憎しみを覚えます。なので、フィリップのお金ではやっぱり行けないと断ってきたふたりに、フィリップは、その下劣さやあさましさを嘲笑おうと、自ら傷つきながらも、その痛みに喜びを感じて、旅行をすすめました。

 愚かさや惨めさに打ちのめされたフィリップは、なかなか旅行から戻ってこないミルドレッドを、裏切りだと罵倒し、グリフィスを呪いました。やがて、後悔と謝罪の入ったグリフィスからの手紙が届きますが、それには軽蔑と憤慨しかありませんでした。そして、ミルドレッドの部屋へ行ってみると、ミルドレッドは既に荷物を持ってロンドンを出ていった後でした。フィリップは、都合のいいように使われ、バカにし・哀れみも優しさも思いやりもない女だったことを受け入れざるを得ず、この苦しみ耐えるくらいなら自殺しかないと思います。しかし、これほど卑しい女のためにする自殺のばかばかしさ、激しい気持ちを忘れるのも時間の問題だという理性の声に思いとどまりました。

 なお、この話の顛末は、グリフィスはこの旅行が退屈で、もうお遊びはおしまいにしようとしましたが、ミルドレッドはグリフィスが戻ってきたロンドンの病院や部屋までにしつこくつきまとうまでになっていました。が、苦労の末に別れた、ということでした。

 いったん、牧師館に戻ったフィリップは、自分とミラーやグリフィスとの違いを考えました。それは、ミルドレッドには性的欲求がないと思っていたが、そうではなく、他方、ふたりにはあけすけの性的魅力があったことが、違いなのだと思い至りました。そして、自らを振り返ります。

P167 彼女は上流志向が強く、生の現実には身震いし、体の機能をいやらしいと考え、ごく日常的なことを上品に話したがり、わざと難しそうな言葉を使いたがった。そんな細く白い背中を、ふたりの男に獣のような鞭で打たれ、彼女は官能的な痛みに震えたのだ。

(2)日常や現実事実への関心と係わり

 内科・外科外来実習が始まったフィリップは、生身の患者とのふれあいから、それまで知らなかった力(余命宣告時に、曝け出されるありののままの魂など)を感じ、話を聞いて興味がそそられ、患者といると落ち着き、その不安を取り除くことができるなど、自分に向いていることを感じました。

 やがて、フィリップは、詩集出版のためにロンドンに来ていた、パリ時代の友人クロンショーに会います。しかし、クロンショーの貧窮と肺炎、アルコール中毒で肝硬変を患うなど、悲惨な生活をしている様子を見て、クロンショーを自分の部屋に引き取ります。

P211 「(前略)キリスト教徒は、常に死を目前にみて生きるべきだというが、そんなばかな話があるか。真の意味で生きるには、自分が死ぬべき存在だということを忘れるべきだ。死は無意味だ。死の恐怖など、賢者の行動にはなんの影響も及ぼさない。おれはやがて身もだえあいて喘ぐ。それはわかっている。そして恐れおののき、こんな結果をもたらした人生を激しく後悔する。だが、いま、そんな後悔はない。おれはいま、疲れ、老いて、病んで、貧しいが、まだしっかりこの手び魂を握っている。何ひとつこうかいしてはいない」

 しばらくすると、クロンショーの病状は悪化し、余命いくばくもない状態だとわかりました。そして、フィリップが出かけている留守の際に、ひとり部屋のなかで亡くなってしまいます。

P237 クロンショーが死んでしまったというのに、何も変わらない。彼の人生そのものがなかったかのようだ。(中略)フィリップは、すぐそばに警官がいることを念頭に置いて、好きなように生きるという考えに従ってきたが、今回はそれが通用しそうにない。クロンショーはそれを実行して、悲惨な最期を迎えた。好きなように生きるということは必ずしも正解とはいえないのかもしれない。フィリップは悩んで自問した。もしこの考えが役に立たないとしたら、いったいどんな考えに従って生きていけばいいのだ。なぜ人はひとつの考えに従って生きるのだろう。人は感情に従って行動するが、感情そのものが結果を導くわけではない。それが成功につながるか、失敗につながるかは運次第だ。人生というのは理解不能な混沌そのもので、人は自分にもわからない力に操られて右往左往している。目的などだれの頭にもない。ただ行動するために行動しているだけなのだ。

 やがて、入院患者実習に入ったフィリップは、患者の百貨店勤務のアセル二―と知り合います。アセルニーはかつてはスペイン滞在歴があり、詩集などで想像をかきたてるような語りに、フィリップと親しくなります。そして、9人の子どものいるアセルニー宅での食事に招かれ、15歳の長女サリーと出会います。また、自然で無理がなく美しい、素朴な善良さのあるアセルニーの家族が好きになりました。ここで、スペインの話題から及んだ、エル・グレコの作品をフィリップはながめました。その作品から、フィリップは、通り道に過ぎないこの世で、心のなかのみを見つめ、見えざるものの輝きにひかれ、深い悩みを抱える気高い魂を見てとり、そして、新たな発見や冒険の予感を感じました。

 フィリップは、たびたび訪れたアセルニー家からの帰りに、娼婦となって通りに立つミルドレッドを見つけます。そこでは、フィリップは、もうミルドレッドを愛していることはなく、ミルドレッドから自由になっている自分をうれしく感じました。そして、こんな生活から抜け出したいと泣き崩れるミルドレッドを見ていたたまれず、その生活の恐ろしさに胸をえぐられるような気して、なんとかしてあげてしまいます。

 それは、料理や掃除などの家事をすることで部屋にいること、そしてただの友だちでいることということでした(思いやり、寛容、善意)。やってきたミルドレッドに、フィリップは気持ちは高ぶりましたが、かつての気持ちはさっぱりなくなり、肉体的不快感さえありました。やがてフィリップは、脚の手術を受けた後、ミルドレッドと療養の旅行をします。別々の部屋をとり、話題も噛みあわず、無神経さや横柄さも目につきます。その後も、ミルドレッドは仕事を見つけようともせず、だらしなく、それが気に障り口喧嘩にもなりました。

 他方、ミルドレッドは、部屋にやって来たときに、かつてのひどいことをしたことに後悔し、その償いをしようとしたのに、フィリップが拒絶したことにまず驚きました。しかも、やがて、その気になるはずと思っていたところで、性的な関係のないプラトニックな関係でいたいという想像もできない話をフィリップからされてしまいます。さらに、療養旅行で別部屋を取ったことから、自分を欲してないことが明らかとなったことで屈辱感をおぼえました。また、クリスマスの夜に誘いかけても応じず、醒めたフィリップには自分を養う気がないと思い、焦りをおぼえはじめました。

 このようにして、ミルドレッドは好きにさせたいのに応じてこないことで、自尊心を傷つけられ苦しみ、しかも、フィリップの冷たさも気にさわっていました。そこで、ミルドレッドは、この不自然な生活を、子供をつくることで力づくで変えようと決心しました。

 そして、ある晩、ミルドレッドは、情熱的に、甘いささやきでフィリップを誘惑しはじめました。しかし、それに吐き気がしたフィリップは、ミルドレッドを突き放してしまいました。ここで、ミルドレッドは、怒り罵り、粗野な悪口を並べるだけでなく、悪意と怨みをこめた致命的なひと言「その足、気持ち悪い!」をなぐりつけるようにして投げつけました。フィリップが、翌日の夜に病院の仕事から部屋に帰ると、全てが怒りのたけに、壊され引き裂かれズタズタにされておおり、ミルドレッドはいなくなっていました。フィリップは、ありがたく思いましたし、二度と会いたくないとも思いました。

 (2022.06)

CM 

 最後までおつきあい頂きましてありがとうございました。

では、また!