キジしろ文庫

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サマセット・モーム「人間の絆」(上)1/2

あらまし

 幼くして両親を失い、牧師である伯父に育てられた青年フィリップ。不自由な足のために劣等感にさいなまれて育ったが、いつしか信仰心を失い、芸術に魅了されてパリに渡る。しかし若き芸術家仲間と交流する中で、自らの才能の限界を知り、彼の中で何かが音を立てて崩れ去る。やむなくイギリスに戻り、医学を志すことになるのだが……。誠実な魂の遍歴を描いたS・モームの決定的代表作を新訳。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 以下は、備忘のための簡単なとりまとめです、参考まで。

(1)夢想に魅了(牧師館) 

 生まれつき脚の不自由な主人公のフィリップ(9歳)は、聖ルカ病院外科医だった父や、奢侈な母の相次ぐ他界に伴い、両親よりも年の離れた、貧しい伯父伯母夫婦に引き取られます。フィリップは、日々の伯母との買い物や日曜の皆で行く礼拝、ちょっとしたすれ違いなど、温厚で夫に付き従う寛容な伯母に馴染み始める一方で、面倒なことにさえならなければ良いと考える、利己的・尊大な伯父とは反りが合いません。そんななかで、フィリップは書斎にあった旅行記千一夜物語などの本で、ひとり空想に耽ることが楽しみになります。

P64 フィリップは知らないうちに、世界で最高の楽しみ、本の楽しみを知ってしまった。本人はまだわかっていなかったが、それは生きることの悲しみすべてから逃避する手段を用意することであり、毎日の現実の世界が苦い失望の源にしか思えなくなる非現実の世界を作ることだった。

 伯父伯母は、フィリップの将来を、紳士階級のひとつでもあり、牧師の伯父の後継ぎにもなる聖職を考え、教会関係の子どもがいくキングズ・スクールに、フィリップを入校させます。

 ここで、主人公フィリップの性格について書きとめますと、フィリップは、生まれつきの不自由な脚(尖足)に強い劣等感を持ち、内向的(寡黙・友人が少ない)・神経質で臆病(おどおどしてる、引っ込み思案)・感情的(自制します)で、外部世界に猜疑心が向く一方で虚栄心も強いといった、かなり自閉気味な青年です。

(2)現実界からの逃避の始まり(キングズ・スクール)

 キングズ・スクールでは、他の生徒や先生だけでなく、友情のできた唯一の友人からも、フィリップの不自由な脚(尖足)を嘲笑い・あげつらう心無い言葉やいじめによって、偏見と人間関係の切り離し・排除にあいます。そして、その心は傷つき、苦しみ・悔しみもしますが、恐怖感に伴って周囲から離れ、孤独を味わいます(同情を誘う作り話をした後悔の念に、逆に自らの快感を覚えることや、自分が傷つけられたように相手にもやり返すこともありました)。

 そこで、フィリップは、聖書の言葉を純粋で真剣な気持ちで信じ、脚が治るようにと、敬虔な神への祈りをし、また、校長から諭された、不自由な脚を神からの授かり物として感謝するなどに神秘的な悦びが込み上げるなど、一度は聖職者を目指そうとしました。

 しかし、どうしても教会的な保守伝統の校風や教条には馴染めず、その束縛からの解放を求めて、そして貧しく不道徳な牧師の生活から離れようと、オクスフォード進学を勧める両親や校長の反対を押し切り、キングズ・スクールを中途退学します(18歳)。

(3)フィリップの描くロマンティックな虚構のふくらみ(ハイデルベルク

 フィリップは、ハイデルベルクでは下宿生活をしながら、重要性を増してきているドイツ語などの語学を学び、そこでの自然から生の感覚や美の意識に目覚めるなど、自由を満喫します。

 このほか、身分差のある恋愛や結婚に悩む女性たちや、貧窮の大学生の演劇批評や元イタリアの革命家に出会い、文学的感性に優れたイギリス人ヘイワードやアメリカ人神学生のウィークスたちとの文学や宗教観の論議をし、それを経ての棄教(生まれや環境から押しつけられた信仰心にすぎなかった)と自分に対してだけの責任という重荷のない晴れやかな気持ちを得、しかし依然として愛する母の死を通した神への畏怖も残り、心奪われた強烈に不健康な演劇に引き起こされる人生を始めたい気持ちになり、ヘイワードの詩に刺激されて恋をしたくなる気持ちのなかで起きたドイツ人女性と中国人男性の駆落ちを見、ヘイワードの鋭い美的感性で伝えられるイタリアの旅を聞き、大学に入学後の講義での哲学の悲観的なところが心に響くなど、フィリップの非現実のロマンティックな夢想は、思う存分ふくらみました。

P237 フィリップにとって、演劇は人生そのものだった。奇妙な人生、暗く、ゆがんだ人生、そのなかで男と女が容赦ない観客の前で、胸に秘めた邪悪をさらけ出す。美しい顔が堕落した心を隠し、立派な人物が美徳を秘密の悪徳を隠すための仮面に使い、りりしくみえる男が自らの弱さで内心おろおろし、有徳者が腐敗していて、貞淑な女性が好色だったりする。

P239 フィリップにはまだわかっていなかったが、人間という旅人は険しい不毛の大地をどこまでも歩いていてようやく、現実を受け入れるようになる。青春が幸福に満ちているなどというのは幻想、それも青春を失った人々の幻想にすぎない。それにひきかえ、若者は自分たちのみじめさを身をもって知っている。なぜなら、地に足の着いていない理想にあふれていて、現実とぶつかるたびに、傷つき苦しむのだから。若者は本と年配者の共謀の犠牲者といっていい。というのも、読む本は必然的に理想主義的なものになるし、年配の人々はバラ色の霧の向こうにある過去をながめながら語るわけで、両方の影響を受ければ、非現実的な人生を思い描くほかなくなるからだ。人はみな、読んだ本も、聞いた話もすべて嘘以外の何物でもないことに、自分で気づくほかはない。そしてその発見のひとつひとつが、人生という十字架に架けられた肉体に新たに打ちこまれる釘なのだ。

P240 ヘイワードとの付き合いはフィリップにとって最悪だった。というのも、ヘイワードは自分では何もみようとはせず、ただ文学的雰囲気を通してものを見る男で、なにより危険なのは、自分が誠実だと思いこんでいたからだ。無邪気にも、自分の性的な欲求はロマンティックな想いで、優柔不断さは芸術的な資質で、怠慢さは哲学的な冷静さだと思いこんでいた。なりふり構わず洗練された人間になろうとするあまり、あらゆるものを実物より少し大きくみてしまう。そのせいで、ものの輪郭がぼやけ、それにさらに感傷という金色の虹がかかる。彼は嘘をつくが、自分が嘘をついていることに気づいていない。そしてそれを指摘されると、嘘は美しいと答える。彼はロマンチストだったのだ。

(4)ミス・ウィルキンソンとのロマンティックな空想の恋愛

 やがて、フィリップは、伯母からの手紙もあり、伯父が最後に仕えた牧師の娘であるミス・ウィルキンソンも来ている牧師館に帰郷します(20歳)。フィリップは、37歳でパリで家庭教師をし、優雅に着飾り愛想の良いミス・ウィルキンソンに好意を抱き、ミス・ウィルキンソンの語る恋話を真に受け、感情がかきたてられてしまいます。

 やがて、フィリップは自分の身の振りを伯父伯母と話すなか、紳士の職業のひとつである弁護士の実務修習生(5年務めると会計士になれる)を選びますが、空きがなかったので、ロンドンでの会計事務の研修生として働くこととなります。

 ふたりがともにいる時間が限られたことで、フィリップは、ミス・ウィルキンソンに積極的になり、ミス・ウィルキンソンの気持ちも高ぶります。そして、牧師館でふたりきりとなったところで、想いを成し遂げますが、その実、下着姿となったミス・ウィルキンソンに年齢を感じてしまい気持ちがなえていました。

 これ以降、フィリップの恋の熱はさめてしまい、ミス・ウィルキンソンをおぞましいとすら思う一方、逆にミス・ウィルキンソンは夢中になってしまいます。ここで、この優越感にひたるフィリップはヘイワードへの手紙に、フランス女性とのロマンティックな恋物語を創作します。フィリップは、別れを惜しみ悲しみ、片時も離れようとせず、嫉妬しては泣く、そして、気遣いのないことへの不満を言うミス・ウィルキンソンとの関係を後悔し、腹立たしく、うんざりした気持ちになりました。が、その気持ちを隠したまま、ミス・ウィルキンソンは休暇を終えて去っていきます。

P285 しかしこれはちょっと普通すぎる。フィリップはもっと胸の高鳴る展開を期待していた。多くの本で愛の場面を読んできたが、そういう本に書かれている感情の高まりがまったくない。情熱の波に足をさらわれこともない。それにミス・ウィルキンソンは理想の相手ではない。フィリップが思い描く美しい女の子は、スミレ色の目に、雪花石膏の肌をしていた。そしてフィリップは、その波打つとび色の豊かな髪に顔をうずめるところを想像した。しかしミス・ウィルキンソンの髪に顔をうずめるところは想像できない。なんとなくべとついた感じがするのだ。もちろん、うまくいけば大きな満足が得られるだろうし、女性を征服した喜びにひたれる。よし、口説いてみよう。キスしよう。だけど、夜まで待とう。暗いほうがいい。キスさえしてしまえば、あとはうまく運ぶはずだ。

P295 すごい。こんなにスリルのあるゲームは初めてだ。なによりすごいのは、自分の言葉のままに自分が感じていることだ。誇張はあるが、ほんの少しだ。フィリップは気をそそられ、また昂奮して、これが相手におよぼしている効果をながめた。

(5)ロンドンでの厳しい孤独の現実に失望

 ロンドンでの会計事務の仕事に就いたフィリップは、同じ研修生で俗物のワトソンに、怒り・非難・悲しみをこめて手紙で訴えるミス・ウィルキンソンとの別れの指南をこいたり、脚の不自由から断ってしまうワトソンからのダンスの誘いがあったりしますが、ロンドンで、ひとりぼっちでギャラリーや芝居を見て過ごすしかない孤独に喘ぎます。また、帳簿の計算などの不向き、事務員からの僻みなどもあって、ロンドンの生活に限界を感じ始めます。

 そこへ、ヘイワードからきた手紙「人生は冒険だ。宝石のようなすさまじい炎に身を焼き、運命に自らをまかせ、危険を冒せ。パリにいって、美術を勉強したらどうだ?きみには才能がある。(P340引用)」から、自分の憧れであるロマンスと美と愛は、すべてパリにあるという気持ちが高ぶり、さらに1週間のパリ出張で幻想の気分を味わったことから、10カ月で会計事務所から故郷に帰ります。

 伯父伯母は、パリで画家を目指そうするフィリップに、猛反対します(画家は、まっとうな職業でない、根無し草のボヘミアンのだらしない不道徳な連中の仕事だし、パリは背徳の街で、娼婦やふしだらな女が悪徳の限りをつくす、邪悪な町ソドムやゴモラの比ではない。放埓と女遊びだ。)。しかし、フィリップに何かをしてあげたいと思っていた伯母からの残り少ない持参金をもらい、パリへと向かいます(仕送りはありません)。

 (2022.06)

CM 

 最後までおつきあい頂きましてありがとうございました。

では、また!