キジしろ文庫

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サマセット・モーム「人間の絆」(下)2/3

あらまし

 イギリスに戻ったフィリップの前に、傲慢な美女ミルドレッドが現れる。冷たい仕打ちにあいながらも青年は虜になるが、美女は別の男に気を移してフィリップを翻弄する。追い打ちをかけられるように戦争と投機の失敗で全財産を失い、食べるものにも事欠くことになった時、フィリップの心に去来したのは絶望か、希望か。モームが結末で用意した答えに感動が止まらない20世紀最大の傑作長編。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★★★星5 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 以下は、備忘のための簡単なとりまとめです、参考まで。

(3)幸せを願う、夢を追うといった社会に感化された自分への気づき

 さて、フィリップは、株の仲買人マカリスターの勧めにのってしまい、運悪くほぼ全資金を失います(27歳)。そして、伯父への無心も断られ、質入れもし、職も見つからず、部屋代も溜まり、友人から借りた僅かの金で、飢えをしのぎ、野宿を続けるうちに、気力や体力も衰えてきました。そこで、この惨状をアセルニーに打ち明けることにしました。実は、いなくなってしまったフィリップを捜していたアセルニーは、快く迎え、百貨店の仕事を勧めました。

 フィリップは、宿舎から通い、百貨店の案内係として働き、社員食堂や隔週の懇親会で過ごしますが、皆との距離感や空疎な気持ちを感じます。やがて、ウィンドーの飾りつけ、そして絵の腕を買われてデザイナーへと昇進します(周りの嫉妬もありながら)。

 そんななか、パリ時代の友人から、同年代のヘイワードの死を聞かされ、心を深く揺さぶられます。そして、大英博物館のなかで、はかない人生を考えます。

P448 ヘイワードは将来なんでもできそうで、大きな野心を抱いていたが、何ひとつ実現できず、次第に自分を敗残者と考えるようになっていった。そんな彼も死んでしまった。彼の死は、彼の人生同様、不毛だ。ろくでもない病気にかかってみじめに死んでしまい、最後まで、何もなし遂げられなかった。結局、彼が生きていたことにはなんの意味もない。フィリップは絶望しつつ自問した。生きることになんの意味があるのだろう。すべてが愚かしく思えた。クロンショーも同じだ。彼の人生もまったく無意味だった。死んで忘れられ、詩集は売れ残って、古本屋に並んでいる。彼の人生は、ひとりの目立ちたがりのジャーナリストに序文を書くチャンスを与えること以外なんの役にも立たなかった。フィリップは心の中で叫んだ。「いったいなんの価値があるんだ」努力と結果とはまったく無関係だ。若いときの明るい希望は、幻滅という苦い代償を払わなくてはならない。苦痛、病苦、不運のおもりが重すぎる。人の生とはなんなのか。フィリップは自分のことを考えてみた。最初の頃に抱いていた高い望み、身体の不具による制約、友人のいなかった長い期間、子ども時代に愛情に恵まれなかったこと。いつも最上の選択をしてきたつもりだが、その結果がこれだ!自分より取り柄のない連中が成功して、自分より取り柄のある連中が失敗する。何もかも偶然としか思えない。雨は善人の上にも悪人の上にも降る。そこには、なぜ、どうして、という理由はない。※下線を加えました。

P450 フィリップはクロンショーのことを考え、彼からもらったペルシア絨毯のことを思いだした。(中略)答えは明らかだ。人生に意味などない。この地球、宇宙をめぐる恒星の一惑星に、その歴史の一時期の環境的条件のもとで生命が誕生した。そのとき芽生えた生命は、その条件が変われば、ついえてしまう。人類も、ほかの生命体同様に意味のない存在であり、それは創造の頂点において生まれたのではなく、ある環境への自然な反応として生まれたのだ。(中略)人は生まれ、苦しみ、死ぬ。人の生に意味はなく、なんの目的もない。人は生まれようが生まれまいが、生きようが死のうが、それ自体なんの意味もない。生は無意味で、死は何も残さない。フィリップは歓喜した。十代の頃、神への信仰という重荷が肩から消えたときの歓喜を味わった。責任という最後の重荷から解放されたような気がした。そして生まれて初めて、完全に自由になった。自分が無価値だという自覚は力につながった。そして突然、いままで自分を迫害してきた残酷な運命と対等になったように感じた。もし人生に意味がないなら、この世界には残酷さもないはずだ。自分が何をやり遂げようが、何をやり残そうが、そんなことはどうでもいい。失敗かどうかも問題ではなく、成功かどうかも意味がない。※下線を加えました。※下線を加えました。

P452 絨毯織りの職人はなんの目的もなく、ただ美しいものを作る喜びにひたってあれを織った。そんなふうに人生を生きることもできるではないか、また、何ひとつ思うような選択ができないまま生きてきたと思っている人でも、絨毯織りのように自分の人生をみれば、それがひとつの模様になっているのがわかるはずだ。何かをする必要もなければ、したところでなんの益もない。やりたければ、やればいい。人生の多くのことから、行動や感情や思考などすべてのことを素材に模様を描くことができる。それは整然としたものかもしれず、精緻なものかもしれず、複雑なものかもしれず、楽しいものかもしれない。それは本人が勝手に選んだ幻想にすぎないかもしれないし、月の光を織りこんだ夢想かもしれないが、それはどうでもいい。そうみえるのだし、本人にとってはそれが現実なのだから。人生という縦糸ーどこの水源からともなく湧き出て、どこの海へともなく滔々と流れる河ののようなものーのなかにいても、意味もなければ重要なものもないと考えれば、好きな横糸を選んで思い思いの模様を織り上げることができる。最も明白で完璧で美しい模様がひとつある。それは、生まれ、成長し、結婚し、子どもをつくり、パンを得るために苦労し、死ぬ、という模様だ。しかしほかに複雑で不思議なものもある。そこでは幸せの入りこむ余地がなかったり、成功を望むべくもなかったりするが、そういったもののなかにこそ、不穏ではあるが素晴らしいものがみつかったりする。(中略)幸せになろうという願望を捨てれば、最後の幻想も拭い去れる。この人生をいまわしく思ってきたのは、幸福を尺度に考えてきたからだ。しかしいまは違う。力がわいてきた。ほかの尺度で計ればいい。幸福も苦痛と同様、取るに足りない。どちらも、人生のほかの細々としたものといっしょに入りこんできて模様を複雑にするだけだ。フィリップは一瞬、自分の人生を作りあげてきた多くの出来事の上に立ってみた。すると、いままでと違って、それらの影響を感じないでいられるような気がした。かれからは何が起ころうと、人生という模様が複雑になる動機が増えたのだと考え、死が近づいてきたら、その完成を喜べそうだ。※下線を追加しました。

 やがて、フィリップは気管支炎を患い老け込んだ伯父を見舞います。そこへ、またまた、突如、相談の手紙があったことから、ミルドレッドを訪ねます。フィリップは、憎しみと嫌悪、不快しか覚えませんが、他方、心やすまらないところもあったからでした。ミルドレッドは具合が悪く、フィリップの見立ては性病?でした。薬の処方と、今の生活を変えるよう諫めましたが、なかなか職を見つけようとしません。フィリップは、こっそりと夜の街にくりだしたミルドレッドを止めますが、お金のため、男への怨みもあって、ミルドレッドはフィリップを振り切ります。

 このようにして、病院復帰にジリジリとするなか、伯父危篤の連絡が入ったことで、百貨店を早速辞職しました。死の恐怖と戦う伯父に同情を感じ、そして、生をあきらめた伯父の最期を看取りました。そして、伯父からの遺産を受け取ったフィリップは、聖ルカ病院に二年ぶりに戻りました(29歳)。そこで、地区担当の出産に立ち会うこととなったフィリップは、貧しくて望まれない出産、失業の絶望、命が尽きる女性など残酷な世界で生きていくには人生など無意味だと考えるしかない、と思わざるを得ませんでした

 フィリップは、ただ生きるために必死に働いたことで、生きることの痛みを感じなくなるほどだった、この2年間の耐乏生活を悔やみ、実りある人生を送りたいと淋しく感じました。しかし、

P521 そのとき、人生は模様だという考えを思い出した。そうだ、これまでに味わった不幸は精緻で美しい模様の一部にすぎない。そして自分を励ますようにいった。前向きにすべてを受け入れよう、悲しみも喜びも、苦痛も快楽も。そのどれもが模様に彩を添えてくれるのだ。

 やがて、フィリップは、助けてもらったアセルニー家全員にプレゼントをし、サリーは、ふっくらした体形で健康的で野性味があって女性らしい魅力を身に付けていました。そして、求婚されて断ったサリーと目が合います。

 やがて、フィリップは約束していたアセルニー家の人たちとの、ホップ畑での摘み取りの2週間を過ごします。田園の女神のような素敵なサリーとともにホップ摘みをし、その夜、言葉を交わすこともなく、ふたりはひとつになります。次の夕方、ふたりきりになれたとき、サリーはフィリップのことをずっと好きだったことを告げました。サリーは、歓喜や涙、情熱を起こす愛とは無縁の健康的で母親や姉のような愛情でかきたてられたのかもしれませんでした。

 このようななか、フィリップは30歳にして最後の学科試験に合格して医師となることができました。すぐに、診療所での助手を1カ月務め、患者たちからの信頼を得た様子から、老医師から、跡を譲ることを持ち掛けられます。しかし、ロマンあふれるスペインへの旅や船医となっての東洋への未知の旅で、人生についての新しい発見や、その神秘を解明する手がかりを得ようとする夢を語り、やんわり断りました。

 聖ルカ病院医局助手となって、ロンドンに戻ったフィリップは、サリーといると心がなごみ楽しいと思うのですが、心から愛してはいないことをわかっていました。やがて、サリーから妊娠したかもしれないと、言われます。そして、スペインや東洋への旅の夢をあきらめる一方、やさしい気持ちが湧き、子どもへの思いに胸もつまり、結婚をして、お世話になった診療所で幸せに暮らすことを思い描きます。そして、これまでの苦難とその人生を辛いものしたこの不自由な脚を受け入れました。

 しかし、実は、サリーの妊娠は間違いだったとわかりました。が、それでも、フィリップは結婚を申し込み、サリーもそれを受け止めました。

P616 いままでぼくは自分を欺いてきたのだ。結婚を考えたのは、自己犠牲などではまったくない。ただ、妻と家庭が愛がほしかったからなのだ。そしていま、すべてが指の間からこぼれ落ちてしまいそうになって、絶望している。世界中のなによりも、それがほしい。スペインも、スペインの街も、コルドバもトレドもレオンも、どうでもいい。ビルマの仏塔がなんだ、南洋諸島珊瑚礁がなんだ。理想の地は、いま、ここにある。考えてみれば、いままで追い求めてきた夢は、ほかの人の話や文章から得たことばかりで、自然と心に浮かんだものではなかった。いままで歩んできた道は、こうすべきだと思って選んだものであって、自らこうしたいと思って選んだものではなかった。そういったものはすべて、捨ててしまおう。もう耐えられない。いままでは常に「未来」を考えて生きていて、「いま」はいつも、いつも指の間からこぼれ落ちてきた。自分の理想はなんだ。それは精巧で美しい模様を織り上げることだ。それも人生に起こる無数の無意味な出来事で。しかしごく単純な模様もいいのではないか。人が生まれ、働き、結婚し、子どもを持ち、死ぬ、これもまた完璧な模様ではないか。幸福に屈服することは敗北を認めることかもしれないが、これは幾多の勝利より得るものが多い敗北だ。※下線を追加しました。※下線を加えました。 

 (2022.06)

CM 

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では、また!