キジしろ文庫

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サマセット・モーム「人間の絆」(上)2/2

あらまし

 幼くして両親を失い、牧師である伯父に育てられた青年フィリップ。不自由な足のために劣等感にさいなまれて育ったが、いつしか信仰心を失い、芸術に魅了されてパリに渡る。しかし若き芸術家仲間と交流する中で、自らの才能の限界を知り、彼の中で何かが音を立てて崩れ去る。やむなくイギリスに戻り、医学を志すことになるのだが……。誠実な魂の遍歴を描いたS・モームの決定的代表作を新訳。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 以下は、備忘のための簡単なとりまとめです、参考まで。

(6)ロマンティックな恋愛観への実行性の確信(パリ)

 パリの美術学校に通い始めたフィリップ(21歳)は、芸術の街の様子に感激しつつ、才能をうぬぼれる一方で人間の本質を描こうと苦悶するクラットンや、貧窮し粗野で素っ気がなく、アトリエで嫌われ者のファニー・プライスからのアドバイスを得ながら、まずデッサンから始めました。そして、レストランでの芸術論議に加わり、貧相で酒浸り、鋭い感性と美への情熱で芸術・文学・人生を語る詩人クロンショーに出会い、気分が高揚します。さらに、道徳的良心のあるフィリップは、クロンショーの徹底した運命論に基づくニヒリズム・利己主義・快楽主義の生き方や人生の目的に異を唱えながらも、耳を傾けます。

 また、フィリップがファニー・プライスに偶然出会って一緒に訪れた美術館では、純粋な生活や崇高な生活に導くといった道徳的な主張のない作品の異質性に混乱をしてしまいます。

 このように、フィリップは、絵・本・芝居・仲間との会話などから芸術の道を歩みはじめ、その知識も得た専門の画家を気取るようにもなっていきます。

P428 「人間は自由意思に基づいて行動するという幻想はじつに深く滲みこんでいる。それは喜んで認めよう。そして自由人だといわんばかりに振舞うわけだ。ところが後になって、はるか彼方の宇宙のあらゆる力が結託してそうさせたのであって、自分はそれを防ぐことなどとてもできなかったことが明らかになる。避けられなかったのだ。ということは、それがいかに良きことであっても、自慢することはできないし、それがいくら悪しきことであっても、そしりを受けるいわれはない」(中略)「ごく一般的な意味でいっているのであって、とくに意味らしい意味はない。そもそも人間の行動に優劣をつけて、ある行為をほめ、ある行為をけなすのには反対だ。悪徳も美徳もどうでもいい。賞賛もしなければ、糾弾もしない。ただ受け入れる。すべてを計る物差しは自分だからね。自分が世界の中心にいるんだ」(中略)「(前略)われわれは集団が好きだから、社会を作って生きているわけで、社会はわれわれを力でもってひとつにまとめる。武力(すなわち警察)によって、また世論(すなわち周囲の監視)によってね。(中略)しかし社会の法に従うのは、仕方がないからであって、社会的正義を認めているからではない。そもそも、正義のなんたるかがわからない。わかっているのは力だけだ。(中略)社会は自己保存のために法を作っているわけだから、それを破った者は刑務所に入れられるか、処刑されるかだ。社会はその力を持っている。ということはその権利を持っているわけだ。だから法を犯せば、国から復讐されるわけだが、それは受け入れる。だからといって、罰とは思わないし、自分が悪しきこと行ったから処刑されたとも考えない。社会は人に奉仕させるために、名誉や富や世評なんかを目の前にちらつかせる。しかしいわせてもらうが、他人の意見なんてどうでもいい。名誉なんてばかばかしいし、金なんかなくたって楽しく暮らしていける」「しかし、みんながあなたのように考え出したら、世界は崩壊してしまいますよ」「他人のことなんかどうでもいい、自分さえよければね。(中略)」「「ずいぶん身勝手な考えですね」「じゃあきみは、人間が利己的な理由以外の理由で動くことがあると思っているのかい」「ええ」「そんなわけないだろう。きみもそのうちわかると思うが、この世界で生きていくには、人間というものはどうしようもなく利己的にできているということを知らなくてはならない。きみは、人は利己的であってはならないというが、とんでもない話だ。ほかの人々がきみのために犠牲を払わなくてはならないというのかい。冗談じゃない。きみも、人間というのは自分を中心に考えているということを認めるべきだ。そうすれば、他の人への要求も少なくなるよ。そうすれば、他の人にがっかりすることもなくなるし、他の人のことも思いやるようになる。人間が人生に求めるものはひとつ、快楽だ」「(前略)たぶん、快楽といわず、幸福といったら、きみもそんなには驚かなかっただろう。そのほうが響きが柔らかいが、あえて快楽といわせてもらおう。というのは、人生の目的はそれだと確信しているからだ。幸福が目的かどうかについては自信がない。すべての立派な行為には快楽が潜んでいる。人間は自分にとって快いことを行っているだけだ。そしてそれが他人にとっても快いとき、人はそれを立派な行為と考える。たとえばある人が慈善を快いと思えば、寄附や施しをする。もし人を助けることが快いと思えば、情け深くなるだろうし、社会につくすことが快いと思えば、公共心を持って生きるだろう。(後略)」(中略)「(前略)もちろん、目の前の快楽を捨てて、目の前の苦痛を取る人間はいる。しかしそれは、その苦痛の先に、より大きな快楽をみているからにすぎない。(中略)もし人間が快楽よりも苦痛を選ぶなんてことがあったら、人間はとっくの昔に滅んでいるはずじゃないか」「ですが、それが真実だとしたら、ものの価値はいったいどうなるんですか。つまり、義務も善も美もないとしたら、われわれはなぜこの世に送り出されたのです」(中略)「あそこにあるペルシア絨毯をみにいってみるがいい。きっと答えはおのずからわると思う」※下線を加えました。

 さて、何かと世話やいてくれたファニー・プライスは、人気画家フワネによる辛辣な作品講評で、画家の才能も適性すらもないと指弾され気落ちします。しかし、アトリエの生徒を蔑み・こきおろし、自分の才能を信じて志を遂げようとしています。またフィリップからのレストランでのお礼の食事に、ファニー・プライスはそのひもじさからガツガツと食べて、フィリップはそのさまにうんざりしますが、どうやら好意をもっていることがわかりはじめました。やがて、フィリップへの嫉妬の嫌みを言うなど気心を示すなど、気まずい関係にもなってきました。そこで、ファニー・プライスは、フィリップから好かれていると思っていたと、告げます。不細工で不格好なファニー・プライスと足が悪いフィリップの間にはある種の共感があるはずだというファニー・プライスの言葉に、フィリップは内心怒ります。それでも、ファニー・プライスの乱雑・不潔で粗末な屋根裏部屋を訪れ、ファニー・プライスの絵を見ることになります。しかし、その絵は、古くさい考えの人間が描いた絶望的なものでした。ファニー・プライスは頑固な自信をみせました。

 やがて、フィリップは、合わせて男女3人で描画も兼ねた避暑に行きます。これを聞いたファニー・プライスは、フィリップへの嫉妬と絵の才能がないとまで言う怒りにまで達します。フィリップはかまわず向かい、フォンテーヌの森でロマンティックな夢想に浸ります。そして、フィリップは、そこで同行していたふたりが接近する恋愛に対する強い焦りを感じます。そして、想像の中でその女性を抱きしめたいなどと想います。しかし、実際にそばにいると薄い胸など目につき、気持ちが冷めていってしまう自分に気が付きます。どうやら、自分は、そばにいない人しか恋をすることができないことを感じ始め、やがて、自分をさびしいとも思わなくなりました、

 避暑から戻ったフィリップは、学校で選ばれたスペイン人の作家志望の男性モデルからの激しいエネルギーに、その男性をロマンスの化身のように思いこみ、モデルを依頼し親しくなります。しかし、この男性は、文学のために飢えと闘いながらも、その作品は通俗的なものでしかありませんでした。フィリップは、この男性の不毛で矛盾の固まりを、人間の本質として描けないことに悩み、そして自らの才能に疑問を持ち始めます。

 ところで、ファニー・プライスは、極貧の生活によって、既に学校をやめていました。そして、そのひもじさから首を吊ってしまいました。手紙をもらい、かけつけたフィリップは、助けられなかったことや、特別の気持ちを抱いていたことに気づこうとしなかったことを悔やみました。

 この不幸な事件が頭を離れなかったフィリップは、ファニー・プライスの報われなかった自信と努力を考え、そして、自分の描いた肖像画を見て、感覚的に美を感じとるところが、対象を正確に写すだけの表面的知性しかない、自分の芸術家としての資質(感性ではなく頭で描いている)に欠けることに絶望します。そして、男性モデルの肖像画は、サロンの展示には採用されず、友人たちの慰めにも苛立ちます。

 フィリップは、絵を続けることへの不安の根底には、人生で成功したいという願望(自分の能力最大限発揮すること)があったからでした。そして、赤貧の生活を続けたあげく二流の画家にしかなれないといった、人生のムダが怖いと感じていました。また、クラットンが出会った最高の芸術家の安らぎ、家庭、金、愛、人間性、義務それらをすべてなげうって、芸術にうちこむ勇気も、フィリップは持ち合わせていません。そこで、クロンショーからのクロンショー自身へも含めたアドバイス「これから逃げれるなら、さっさと逃げろ。間に合ううちにな(P504)」を受けます。

 フィリップは、人生よりも芸術を優先するという生き方よりも、様々な経験を探求し、一瞬一瞬を無駄にせず、そして与えてくれる感動を味わうといった、人生は生きるものだと考え、意を決します。フワネに絵をみてもらい、絵を続ける価値があるのか意見をもらうことにしました。そして、期待と恐怖が入り混じるなか、「努力と知性は感じるものの、何の才能も感じられない、せいぜい努力して並の画家だ」と評されました。そこへ、伯母急逝の連絡が入りました。

 伯母の葬儀のために、牧師館に戻ったフィリップは、絵をあきらめることに伴う敗北感や悔しさもありましたが、パリから離れてみると、その惨めな生活や仲間にうんざりし、愛想がつきてしまい、持ち物を引き揚げることにしました。フィリップは、絵をやめたことを伯父に告げ、なじなれながらも、次は、フィリップの選択肢のひとつでもあった、個人の自由がきく医師になるという意見が、伯父と一致しました。

 ここでフィリップは、2年間のパリ生活で学んだことを振り返ります。そして、依然として存在する道徳感といった既成概念に惑わされていたので、自分自身の人生の法則・行動原理「なにより、すぐそばに警官がいることを念頭に置いて、好きなようにやる」という、間に合わせの決まりを作りました(社会の規則は認めたうえで、正邪善悪などの価値体系や道徳規範・倫理観には一切従わない自由人だ、ということ)。

P531 善もなければ、悪もない。物事はただ目的に適応しているだけなのだ。(中略)フィリップは、力は正義だと思っていた。一方には社会があり、社会は社会の成長と自己防御のための決まりを持っている。そしてまた一方に個人がいる。社会にとって都合のいい行動は善とされ、そうでない行動は悪とされる。善悪の違いはそこにしかない。ということは、自由な考え方をする人間にとって、罪という概念は排除すべき偏見だ。社会は個人との戦いにおいて武器を三つ持っている。法律、世論、良心だ。(中略)ところが最後の良心、これが味方の振りをした裏切り者だ。人の心に住みついて、人を社会のために戦わせ、駆り立てて、理不尽にも自らを犠牲にさせ、社会の繁栄に協力させる。いうまでもなく、社会と、自律した個人は相容れない。社会は自分の目的のために個人を利用し、邪魔をすれば踏み潰し、協力すれば、勲章や年金や名誉を与える。一方、自立した個人の場合、強みといえば独立心だけで、社会のなかで進む道をみつけ、必要に応じて税金を払い、兵役その他の義務を果たす。しかしどれも義務感からではない。そして報償にも無関心で、放っておいてほしいだけだ。(中略)自由人は悪など犯しようがない。やりたいようにやるだけだ。とはいえ、できないこともある。自由人にとって、道徳的にどこまで許されるかは自分の力次第なのだ。そして国の法律は認めてはいても、それを破るときに罪の意識はない。ただ、有罪に処せられればおとなしく罰を受ける。社会にはその力があるからだ。しかし、個人に善も悪もないとなれば、良心も力を失う。ところがフィリップは勝利の声を上げて、この裏切り者を胸のなかから放り捨てたものの、人生の意味に近づけたかというとそうではない。なぜ世界があり、なぜ人はこの世界に生まれてくるのか、それは疑問のままだった。きっと何か理由はあるはずだ。フィリップはクロンショーのペルシア絨毯の話を思い出した。彼はそれが謎の答えであるかのように、その話をした。そして答えは自分で見つけださなくては意味がないといった。※下線を加えました。

(7)ロマンティックな恋愛観と現実の矛盾や混乱・妥協・失意(医学校)

 聖ルカ病院の医学校(卒業まで5年)に入ったフィリップ(23歳)は、解剖学やその実習などが始まりましたが、周囲とは興味もあわず、また進んで打ち解けて親密になれる人間はいません。そして、初日に知り合った同じ医学生が気に入っていたウェイトレスのミルドレットに出会います。

 ミルドレットは、背が高く痩せて貧血気味の美形の顔だちですが、冷ややかで愛想のない態度や毛嫌いする言葉に、フィリップはムカつきます。癪に触ってしょうがないフィリップは、再度店に行きますが、生意気な言葉を返されてしまい、屈辱感を払拭しなければ気が晴れないと思い、その店に通い始めました。フィリップは、無愛想や無視、チョットした声掛けや笑顔に接するうちに、悪感情が魅力的へと変わります。そしてドイツ人ミラーと楽しそうに話し、フィリップに冷たいミルドレットに腹が立ちます。そこで、それを忌々しく思い、やりこめようと通いますが無視をされます。そこで、さらりと夕食に誘ってみると、OKでした。しかし、会ってみると仕方なく来たと言わんばかりで、フィリップはイラつきます。そして、会話もはずまず、次の誘いにも無関心です。苛立たしく、気も滅入り、惨めな気持ちになってしまいました。

 しかし、フィリップは、家に帰って思い返したミルドレットの顔姿に想いをはせます。それは、これまでの夢であった甘やかな陶酔や気の遠くなりそうな幸福感あるロマンティックな恋愛です。ところが実際は、苦痛と渇望、喜びと絶望、恥辱と嫌悪を繰り返す苦しい忍耐といった、奇妙な恋愛に惹きこまれていきました(要は、理想と現実のギャップに苦しむ片思いです)。

 それでも、素っ気ない言葉と、わずかの優しい態度、そしてフィリップには気がないと言いながらも、付き合いが続きます。フィリップは、こんな女を好きになった自分が嫌でしょうがないと思っており、その上でいつもからかわれて、不満が募ります。そして、ミラーが理由と思われるデートのキャンセルにかんしゃくを起こします。しかし、容姿も性格も最悪な女性に夢中になって、この奇妙な恋愛に自分の意志に反して引きずりこまれていきます。

 そして、近づく試験を前に、さぼっていた勉強を取り戻そうとしましたが不合格となってしまい、屈辱と孤独感が増したことから、慰めを得ようとミルドレットに会おうとします。ミルドレットはミラーと別れたこともあって、フィリップの食事の誘いに応じました。でも、

P602 フィリップは彼女を抱きしめて激しくキスをしたが、突き放された。「帽子がゆがんじゃうって、ばか。不器用なんだから」

 どんどんと夢中になっていくフィリップは、毎日のように店に通い、食事やプレゼント、散歩などをします。そこでは、フィリップは、相手に気がないのを承知で愛を強要してしまいます。ところが、ミルドレットは、冷淡な対応しかしないため、当てつけがましいことを言ってしまい口喧嘩になってしまいます。そしてフィリップの方が詫びざるを得ず、みっともない自分が腹立たしくなってしまいます。また嫉妬して感情を表に出してしまった時は、怒りと後悔に苛んだうえ、また詫びることになっていました。

 さらに、一緒にいるとつまらない、いやなら放っておいて、しかたなく付き合ってるだけ、いやいや好きと答える、他の男の誘いに応じることを平気で言う、このようなミルドレットにケンカになってしまいますが、フィリップは、「ミルドレッドが誰かを好きになってもかまわない、フィリップが好かれなくてもかまわない、でも好きでいさせて欲しい」、とまでして仲直りをします。

 フィリップは、この自分を燃やし尽くしかねない情熱に囚われた愛の苦痛を冷静に分析します。そして、その原因に性欲があり、その満足が解放に至ることになると考えます。なので、パリに行きたいミルドレットを連れ出すことで屈服してもらおう、としました。

 しかし、する気もない結婚をミルドレットから持ち出されてしまい、それでもフィリップは求婚します。が、結婚後の医学生期間の侘しい生活費やその後の少ない稼ぎまでをあげつらわれ、良い返事はもらえません。

 なお、フィリップは、結婚は永遠に縛りつけられ破滅につながる俗物のための愚かな制度、ウェイトレスという身分差、気取り屋で打算的なミルドレットの将来などから、ミルドレットとの結婚はあり得ないと考えてましたが、激しい欲情の前にはなす術もありませんでした。

 そこで、今度は、ミルドレットからの無視も気にせず・冷淡な振る舞いにも怒らず、退屈させたことも反省し、感じ善く・相手を喜ばせようと心がけ、さらに腹を立てず・要求もせず・不満をこぼさず・約束を破られても笑顔で会い・辛い思いを見せずといった不快な思いをさせないよう、感情を隠すように気をつけ努力しました。そうすると、ミルドレットからの誘いなど、気にかけてくれるようになり、関係がだいぶ良くなってきました。

 が、しかし、ミルドレットから、稼ぎの良いドイツ人ミラーと結婚することを聞かされました。フィリップは、絶望や狂気にも近い怒りではなく、ただ徒労感とただひとりになりたいうという、気持ちになってしまいました。

 (2022.06)

CM 

 最後までおつきあい頂きましてありがとうございました。

では、また!