キジしろ文庫

ミステリーや文芸小説、啓発書などの感想やレビュー、エンタメや暮らしの体験と発見をおすすめ・紹介!

京極夏彦「塗仏の宴 宴の始末」(中)

あらまし

「真逆ゲームが続いていた訳じゃないだろうな―」。中禅寺は電話口でそう云ったという。戸惑う記者・鳥口。眩暈坂を次々に上ってくる男たちの口から複雑怪奇な出来事が語られ、古本屋の座敷で収斂していく。揆を一にして伊豆では「成仙道」と「みちの教え修身会」が鹿砦を挟んで対峙。村中は鳴動した。 (文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 2/3分割です。宴の始末に取りかかるべく、伊豆・韮山に向けて徐々に話しが進みます。

    さて、人間の行う、認知-思考-記憶が一体となった理性や自我(個、自由意志)からすれば、2つの記憶の存在や改ざんは、一体であるはずの理性の異常(分裂・矛盾)であるため、自己矛盾により錯乱・狂乱・沈鬱・混濁を起こし、さらに突き詰めれば、その否定や放棄・停止(低次の欲望と単なる肉体:廃人)につながりかねません。本書では、記憶の改ざんを通して、その脆弱性と、さらに理性や思考の意義を無意味・ムダなものとして立て付けます。

    このような場合、事後措置としては、体の痛みやキズ(指紋や映像も?)などの物的な記録や第三者の存在が、覚醒にとっての頼りになるでしょう。

    ところで、このように意義を見失いがちとなってしまう思考や理性、自我といったものは、そもそもなかったとすれば、無用な混乱は起きず解決するのでしょう。しかし、それはむしろ、説明できる言葉や計測などの材料、手段などを、現状、単に持ち合わせていないだけなのかもしれない、といったことに気づくことが大切なのかもしれません。

    では、どんな結末を迎えるのか、最終巻に期待しましょう。以下、備忘録程度です。

・伊豆韮山の旧家の佐伯家の奥の間に押しかけた者たちを発端に、華仙鈷処女による家族・村民惨殺と、そこに居合わせた(漢方医の叔父の玄蔵に出入りしていた)尾国誠一の死と山辺という人物の紹介、さらに東京への逃亡幇助。その話しの後の華仙鈷と中禅寺敦子、それを追う榎木津の行方不明。

・加藤只二郎の土地譲渡をせまる修身会の磐田純陽や堂島による催眠術と洗脳、他方、妻よね子の成仙道への入信。

・藍童子や尾国誠一らによる久遠寺医院の内藤赳夫医師への洗脳と伊豆での内面吐露。

・かつての事件被害者を連れ去った尾国誠一を、韮山へ追う一柳の妻の朱美。

・家族親戚の名前が韮山の集落にあることや、妻や息子の記憶から自分が消失されていることに衝撃を受けたりする村上と有馬、成仙道の刑部や輿上の曹方士、気道会の岩井、成仙道信者の中に紛れていた木場、羽田製鉄本社建設予定地として太斗風水塾の南雲正陽から依頼された桑田組による、韮山の集落への途上での大乱闘の宴

・条山房薬局の張に助けられた青木は、クスリや催眠術によって、別の記憶を仕込まれてしまい洗脳によって混乱します。既に洗脳済みの中禅寺敦子・河原崎は、韮山の集落の秘密(旧日本軍によるゼロ戦10機、数億円相当のアヘン、毒ガス兵器の隠避)を語り、攫われた華仙鈷処女を見つけるため、気道会への対抗のため条山房薬局の通玄先生(張)に合流します。そこへ、華仙鈷処女と藍童子が現れ、ご宣託がなされます。

「そもそも人に心なんてないですよ。人にあるのは躯だけ。人は空っぽです。筒みたいなものです」作中引用。(2020.06) 

では、また!