キジしろ文庫

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京極夏彦「塗仏の宴 宴の始末」(上)

あらまし

「その時は、それが真実になってしまうのです」。「成仙道」の幹部・刑部を前に、家族を“喪った”男・村上貫一は大きく揺れた。同じころ、「韓流気道会」の毒手は、突如消息を絶った木場を追う二人の刑事、青木と河原崎へと伸び、華仙姑処女は“開かずの間に居たモノ”にまつわる戦慄の体験を語りはじめる。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 1/3分割です。宴の始末に取りかかるべく、伊豆・韮山に向けて徐々に話しが進みます。

 本書のポイントのひとつである、自我や個の概念は、顕在化させた記憶や社会的通念や慣習などによるもので、虚構にすぎず、オリジナルの個はない、と言っています。そもそもの、自由と束縛、能動と受動、外向的と内向的など、後者の観点から物事を思考する傾向にある人たちが登場しているようです。この辺りが問題点なのか、次巻以降に期待を寄せざるを得ません。以下、備忘録程度です。 

(1)恵まれない家庭に育ち、家を飛び出した下田署刑事の村上貫一は、流産に伴う妻との行き違い、母親が窃盗犯である養子だと吹き込まれた息子のDV・家出に際し、あらためて反復する平凡な日常に気を止め、家族という心地よい甘美な幻影から現実に立ち戻り、離縁のうえ捜索を決意します。そこで、行き先を知っているという成仙道の刑部を招き、親子双方の記憶(出自や養子の秘密)の消失という甘い誘惑にさそわれます。・・・

以下、非公開

(2)河原崎松蔵は、前回の漢方薬詐欺事件の打切りに伴う岩川刑事の退官と女工の三木春子の失踪を追跡するなか、韓流気道会から三木を奪回し匿います。・・・

以下、非公開 

 さらに、消息不明の木場の手がかりを求める河原崎と青木は、猫目洞で女工の三木春子を奪い返そうとする韓流気道会の韓らから襲撃されますが、なぜか条山房薬局の張に助けられます。

(3)中禅寺敦子・益田らは、華仙鈷処女を匿う榎木津礼二郎の事務所で、華仙姑から虚像と実体についてのご宣託を頂きます。

・「私には自分などありません」-中略-「自分はこう云う人間だ、これが自分の人生だと、そう言い切ることが私には出来ない。誰にも迷惑を掛けず、誰にも寄りかからずに生きることなど出来ないと思います。自分は自分はと云う、その自分と云うモノは、親に育まれ社会に守られて生きて来た結果な訳でしょうから、自分と云うモノを作っている要素の大半は他人から与えられたモノなのではないのでしょうか。ならば、自分なんて、世間を映す鏡のようなものだと-私にはそう思えてなりません」-中略-「見えているのは虚像です。表面に映っている画像こそ自分だと、皆思っている。でもそんな自分なんて目の前に立つものが変われば変わってしまうのです。だから自分なんて、探したって無駄です」-中略-「目の前に誰が立っているかが問題なんだと思うのです-後略-」作中引用。・・・

以下、非公開

(2020.06) 

では、また!