キジしろ文庫

ミステリーや文芸小説、啓発書などの感想やレビュー、エンタメや暮らしの体験と発見をおすすめ・紹介!

亀山郁夫「ドストエフスキー『罪と罰』2013年12月(NHK100分de名著)」

あらまし

 切り離された者たちへ

 観念から生命へー新たな物語が始まる。

(本書表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 言わずもがなの名著ですが、かなり以前に、一読をしていました。なので、あらためては、本書によるエッセンスで気楽にサボることにしました。解説本からの都合のよい、齟齬も含んだ、備忘としての「罪と罰」とりまとめです、以下は参考まで。

(1)動機① 正義感に満ちた弱者への憐れみ

 ラスコーリニコフは、日々の家族を養うために娼婦となる・裕福な家に嫁がざるを得ない、さらに稼ぎを得ようと進んだ学業もあきらめざるを得ないなど、困窮と格差に喘ぎ、しかも、どん底から這い上がろうとするチャンスも閉ざされている、と自分や周囲の境遇を顧みます。そして、このようなもともと不公平で、しかも努力も報われない世の中(自由の幻想)は是正されるべきであると、ラスコーリニコフは考えます。

(2)動機② 悪魔的な傲慢さ・冷酷非情さ、社会への軽蔑

 そこで、ラスコーリニコフは、現実離れした観念(空想的な社会主義無神論)に憑かれたようにハマっていたことから、歪んだ社会体制の転換のために、自らの身を投じてその実現・浸透に向けて挑戦します。

P31「しらみか、ごきぶりの命」にも等しい老女の命と金を奪い、その金で人間の命を救えるのだとしたら、その殺人は、正義とみなすことができるのではないか・・・?

P53 問題は、彼の理論が、全体の幸福を実現するためには、個々の犠牲には目をつぶるしかない、という点に依拠している点にあります。

P52 すべての人間は「凡人」と「非凡人」にグループ分けされ、凡人は従順に生きなくてはならないが、「非凡人はあらゆる犯罪をおかし、勝手に法を踏み越える権利をもつ」

(このようなナポレオン主義は、戦争に伴う殺人の正義といった長い歴史における生命の価値と、日常的な時間におけるものとを混同してしまいがちです。exオウム犯罪事件 なお、ラスコーリニコフは、ここナポレオン主義に至って、動機①はほぼ消失しています。)

(3)決行の結果は挫折

 その結果はどうかと言うと、目論見はすべて崩れ去ります。それは、まず、理想世界実現のために人柱となった第一歩目の殺人という手段が、事実となってラスコーリニコフに衝撃を与えます。そして、ラスコーリニコフは、正当化されるはずの崇高な目的を見失い、そして、天才にも英雄にもなれないシラミのような自分の卑小さを思い知らされ、”挫折”の苦しみに心折れます。

(4)自首・流刑も反省の色なし

 さらに、ラスコーリニコフは、孤独と恐怖・焦燥に苦悶し、幻覚を見るなど精神は不安定となってしまい、ついに娼婦ソーニャや家族へ犯行を打ち明けます。そして、自首・シベリア流刑となります。

    が、しかし、この期に及んでも、(2)の生命の価値の混同は変らず、依然殻に閉じこもり他者を思いやることができず、罪の意識には至りません。むしろ、自我を喪失し、うつけたようになってしまいました。

(5)甦り

 では、ラスコーリニコフは、どのようにして、罪を認め、再生していったのでしょうか、です。

    それはまず、同じように罪の意識を負い家族の犠牲となっている娼婦ソーニャによって、篤い信心の導きと愛情がラスコーリニコフに注がれました(母なる大地との和解のすすめにラスコーリニコフは従います)。その一方で、ラスコーリニコフは、ラスコーリニコフと娼婦ソーニャにとっての、母に等しい第二の殺人に伴う、神なき世界に生きる絶望(死の光景)にまで追い込まれました。

    これらから、ラスコーリニコフに生命の重さへの意識が呼び起こされ(動機①の核となる真の人道性の本質)ました。

    そこで、生きて罪を償うことを選択し、さらに、ソーニャとともに愛に生きるといった、人間性の回復をすることができ、ラスコーリニコフは復活に至りました。

(6)最後に

 犯行後のラスコーリニコフは、妄執した冷酷非情な世界に自らおそわれ、自身の内に埋没していた人間的なあたたかさや良心といった、自我とのせめぎ合いも生じたのだろうと思います。そして、ラスコーリニコフのなかでの葛藤や、苦しみを最後まで生じさせ、より心を混沌とさせたところも多かったと思います。さらに、その再生は、いのちは何ものにも代えられない、といったその残っていた人間性の回帰によって解決されたものだったと思いました。最後に、このような勝手ながらの解釈を付け加えました。

 (2022.03)

CM 

 最後までおつきあい頂きましてありがとうございました。

では、また!