キジしろ文庫

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ジーン・ウェブスター「あしながおじさん」

あらまし

 孤児院で育ったジュディの人生に、とびきりのチャンスと幸せが舞い込んできた。名を名乗らない裕福な紳士が、奨学金を出して彼女を大学に通わせてくれるという。ただし条件がひとつ。毎月、手紙を書いて送ること。ジュディは謎の紳士を「あしながおじさん」と呼び、持ち前のユーモアがあふれた手紙を書き続けるのだが――。最高に素敵なハッピーエンドが待ち受ける、エバーグリーンな名作。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:星1 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 本書は、夢を夢見ることとなる、シンデレラストーリーです(努力を伴うサクセスストーリーではありません)。

 なので、ついつい本書に没入し、素敵な理想や夢を描いてほうけてしてしまいます。そして、自分の現実を忘れて、空虚な時間を過ごしてしまうような力まで、本書はもっているなあ、と思いました(少し冷め気味になってます)。

 以下は、備忘のための簡単なとりまとめです、参考まで。

 主人公ジュディは、孤児という恵まれない境遇によって、不幸な運命(これまでの貧しく十分でない生活や教育、今後の限られた職、同じような境遇の男性との結婚、貧しい家庭など)を受け入れていました。

 しかし、ジュディの文才に気づいた孤児院評議員あしながおじさん奨学金によって、大学に進学します。ジュディは、そこで得た教養や体験と、あしながおじさんへ手紙を書くことなどから創作力が磨かれ、厳しい評価といった壁を乗り越え、女性作家として自立します。なお、ジュディは、受け身でか弱さをもつ一方で、明るく健やか、溌剌としてめげることもなく、そして礼儀をわきまえた女性です。

 ところで、ジュディは、他の人と同じになりたいと思い(高校時代は孤児院だということでハズシにあっていた)、孤児であることを隠して学生生活を送ります。

 このあため、知ったかぶりや気後れ、美味しい食事や幾種類ものドレスのあることの喜び、貧しい者に配慮のない宗教への捉え方の違い、何物でもない自分という自覚、常識の欠如、動物たちと過ごした孤児院の外という農場、家族を感じた友人宅やキャンプ、きらびやかすぎるニューヨーク、孤児院での悪さ・単調で義務の多さといった不満など、新たな発見や違和感、回想などを覚えます。

 とくに、仕事(作家や女優、孤児院を持つこと)や幸福(どんな不愉快なことも含めて、自分はしあわせだと思うこと)、お金(応募小説の原稿料や家庭教師での収入、卒業後の執筆料での奨学金返済)や人生(今を生きること、きわめて役に立つ人間になること、自由意思を信じること)などを、腹を立てたり・つっぱったり・逆らったり・悔んだり・傷ついたりしながら、あしながおじさんへの手紙のなかで吐露、意見するなどして、人格が形成され、文才が伸びていきます(孤児であることの恩恵)。

P225 自分がしあわせであることがわからない女の子を、わたしは大勢知っています(たとえばジュリアがそうです)。彼女たちはしあわせであることに慣れきって、しあわせに対して感覚が麻痺しています。けれどもわたしはー生きている瞬間すべてで、自分はしあわせだと完全に確信しています。そして、どんなに不愉快なことが起ころうと、ずっとしあわせでいつづけます。不愉快なことは(歯痛でさえ)興味深い経験ととらえて、どんな感じかわかってうれしいと思うことにします。

 このように、あしながおじさんとは、手紙を通じて、天涯孤独なジュディが慕い、繋がりと安心を感じる、父親や母親・姉妹といった家族のような大切な存在になっていきました。

 やがて、ジュディは、大学生活のなかで知り合ったジャービーに特別の想いを抱きます。しかし、ジャービーから申し込まれた結婚を、ジュディは家柄や血筋が釣り合わないと考えて身を引いてしまい、ふたりは互いに傷つきあってしまいました。しかも、ジャービーはその悲しみで、肺炎を患ってしまいました。

 なので、ジュディは、あしながおじさんへ、本当の自分(孤児)を明らかにして、ジャービーの考えている別の男性を好きだという誤解を解き、互いに後悔のないよう本心を伝えるべきか(とても恐ろしい結果になるかもしれないが)、という恋愛の悩みを打ち明けます(孤児であることの弊害)。

 ここで、すべてを知った、あしながおじさん=ジャービーの回答は、直接会う、でした。そして、ジュディは、初めて対面したあしながおじさん=ジャービーとは、言葉を交わす必要もない最高の瞬間を迎え、そして幸せになりました。

 

(参考)他力本願

 日常語の、他人の力で自分の望みがかなう、という意味とは異なる、本来は仏教語です。その主旨からは、ノーペイン・ノーゲイン、苦労はつきもの、と解されます。 

阿弥陀仏が、命ある全てのものを極楽浄土へ往生させる力をもっているので(他力)、浄土へ往生することを願うなら、その念仏を唱えることを意味しているようです(自らが修行を行い、その功徳によって悟りを得る自力の考え方に対して、阿弥陀仏の本願で救済されるというのが、他力本願の考え方)。

 (2022.06)

CM 

 最後までおつきあい頂きましてありがとうございました。

では、また!