キジしろ文庫

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渡航「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8」

あらまし

 後味の悪さを残した修学旅行を終え、日常に戻った奉仕部。そんな折、奉仕部に生徒会長選挙に関わる依頼が持ち込まれる。お互いのやり方を認められないまま、奉仕部の三人はそれぞれが別のやり方で依頼に対することに。分かっていた。この関係はいつまでも続かないことも、自分が変わることができないことも。「君のやり方では、本当に助けたい誰かに出会ったとき、助けることができないよ」その行動は誰のために…。それでも自分のやり方を貫く、もがこうとする“彼”は、大きな失敗を犯してしまう―。  (文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:星1

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 比企谷八幡は、心を通じ合える関係を求めながらも、合理的精神を信望して(効率)、二人に相談することなく勝手に自己を犠牲にして、奉仕部に持ち込まれた問題を処理します。これにより、分裂していた奉仕部の面々は、事なきを得ますが、当然、雪ノ下雪乃由比ガ浜結衣との気持ちを通じ合う関係といった核心を避けているので、雪ノ下雪乃の行動の本意がわからず、モヤモヤ感が残ります。八幡が引きこもっている心の殻は、相当厚いもののようです。以下、比企谷八幡名言を作中から引用。

 P182「晒しあげの文化は下流の嗜みだ」

 P237「何かを犠牲にすることなくして、青春劇は成り立たない」

 さて、いじられキャラのわたしが悪ノリで気づいたら生徒会長に!となった、半ば主役だった「一色いろは」は、そのキャラゆえに問題を引き起こしていました(イメージが悪くなる)。

 そのキャラについては、癒えないトラウマ、未だに晴れぬ怨念・嫉妬を想像させ、鬼気迫るリアルな表現が続きましたので、以下、作中引用しておきます。

 なお、それは、ボッチゆえの、ひとりよがりとも感じ、蔑みや見下しといった、他者を想う気持ちに欠けるところ、自意識の強さが気にかかりました。

P50

 ・・・やはり危険だ。

 見られることに慣れ、その上で自分に求められているキャラクター性を発揮している「女子高生」という生き物だ。穏やかな気性とやや控えめな女性らしさを全面に出し、その裏を覗かせまいとする作為的なものを感じる。

 過去の経験から照らし合わせるに、こういうのは高確率で地雷である。

 自称サバサバ系や自称毒舌がただデリカシーに欠ける人間的なカスであるのと同様、聞いてもいないのにわざわざ自分を定義してくる奴は大抵ろくでもない人間であることが多い。自称天然もこのパターンだ。

P54

 ふわふわ系天然隠れビッチだ。ゆるふわ清楚系ビッチだ。俺の中学にもこういうのがいて、そりゃもう男子を手玉に取りまくりだった。

 P122

 身体ごとくるりと振り返って俺を見ると、この人誰だっけなーみたいな不思議そうな表情をした後、とりあえず笑顔、と言わんばかりににっこりと笑って軽く礼をしてきた。(中略)

 それでいて、あからさまに俺を無視したりはしないところが、世渡りを心得ている感がある。はっきり言って、大昔の俺ならこれだけで好きになっている自信がある。逆に言えば、そうした小狡さのようなところが、他の女子の鼻について今回のような出来事を引き起こしているのだろうが。

P136

「まあ、でも、助かりました。誰も助けてくれないんですもん。もう先輩たちしか頼れないですよー」

 その仕草といい、言い方といい、何も知らなければ庇護欲をそそられていたことだろう。だが、これが彼女の処世術だと理解していれば、特に思うこともない。(中略)

 ふわふわ可愛い自分、サバサバかっこいい自分。

 そんな自分をキャラクターづけしているだけであり、そこには個人的な感情がない。キャラ設定がなされたら、あとはそれにぶれない行動をとるだけだ。

 故に、俺に対しても同じような行動をとる。

 その行動に、それ以上の意味はない。

P311

 一色には幼さやあどけなさをうまく利用する小賢しい部分がある。(中略)ふわふわした感じ。(中略)ちやほやされたいという願望(中略)。自分をキャラクターづけし、それを保持しようとする行動原理(中略)。プライドが闇雲に高いわけではなく、媚を売るべき時に売るべき相手に売り、末永く愛されるように気は使うけれど、しかし決して自分を安売りする気はなく、自分の看板に傷をつけないよう注意を払う。つまるところ、彼女は自身のブランドイメージを守りたいのだ。 

(2020.08)

 では、また!