キジしろ文庫

ミステリーや文芸小説、啓発書などの感想やレビュー、エンタメや暮らしの体験と発見をおすすめ・紹介!

バルザック「ゴリオ爺さん」

あらまし

 出世の野心を抱いてパリで法学を学ぶ貧乏貴族の子弟ラスティニャックは、場末の下宿屋に身を寄せながら、親戚の伝を辿り、なんとか社交界に潜り込む。そこで目にした令夫人は、実は下宿のみすぼらしいゴリオ爺さんの娘だというのだが…。フランス文学の大傑作を読みやすい新訳で。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 本書では、ある野心家が、社交界を選び、謹厳実直とは対極となる、自らの良心を抑え込み、悪すれすれの道を進み、体面を汚すことなく、自らの目標に到達する姿を描いています。

 そこでは、自分の感情や徳義にのまれてもいけないし、ましてや、悪行に手を染めることもいけない。そして、恋愛や家族愛、不義・不徳を巧妙に利用して、騙しや裏切り・いいがかりやゆすりまがいを行える、打算的で非情なエゴイストになることで、社会的成功(地位や富)をおさめることができる、というものでした。なので、野心という欲望を満足させるためには、このような感情や良心などへの自制心や克己の精神が大切なのだと感じました。

 というのも、パリ社交界の現実とは、真心や良心、美徳や徳義といった高潔な心、誠実・愛情や純愛、これに伴う悲哀や苦悩・憤怒といった情動や本心を知られてしまうと、お金目当てにすぐに付け込まれるか、疎んじられて退場させられるなど、詐欺師やペテン師たちが蔓延る戦場のような不実な世界だったからでした。

(見方を変えれば、拝金主義などによって、深い悦びや幸せ、そして身を切るような苦しみや悲しみといった情感といった、清らかで気高い精神世界(魂)を卑小なものとする価値観です)

 それにしても、ラスティニャックのような欲得にかられた愚かな心をもつ人間がいる限りは、この世界の苦しみや不幸は、常に置き去りにされるのだろうし、その利己的な志向も含めて、空しさや侘しさを感じました。そして、最も誠実で執着のない友人ビアンションの生き方に、とても安堵しました。

 

 以下は、備忘のための簡単なとりまとめです、参考まで。

(1)貧乏貴族のラスティニャックは、青年特有のみなぎる生気を、財産や地位を築くといった世俗の欲の充足に代え、さらに、その貪欲さをより早く・たくさん・労せずかなえるために、社交界での出世を求めました。そして、上流階級のニュッシンゲン夫人の愛人となることができ(夫人のもつ財産や相続資産目当て)たことから、抱いていた愛情を伏せながら、いよいよ社交界で乗り出そうと勇んだところで、物語は終えます。

 

(2)この間に、ラスティニャックは、

・大学の勉強を放り出し、

・従姉の情の深いボーセアン夫人からの助言と仲立ちを得て、

・田舎の母たちへの金の無心をし、

・また、同じ下宿にいるゴリオ爺さんからの信頼(貧窮を苦にしないゴリオ爺さんの娘姉妹への一方的溺愛、その姉妹間の確執)をなし、

・姉のレストー夫人からの好意は得られなかったものの、さらに上流サークルを目指す妹ニュッシンゲン夫人の虚栄心をかなえ、

・そして賭博のツキで得た金によって借金を返済して妹ニュッシンゲン夫人の心を傾かせ、

・しかし、自らの放埒に伴う負債や、身を任せることへのニュッシンゲン夫人の自尊心や警戒心がなす駆け引きの技によって、ニュッシンゲン夫人への求愛における不安や、いっそうの執着が強められ、

・これにより、先立つお金の欲しさに、脱獄囚との未必の犯罪に加担し、

・それでも、内密だったふたりの新居の用意の話をゴリオ爺さんから聞き、良心と実直さから、また、脱獄囚の逮捕によって、その共犯の危機を脱けだしましたが、

・愛人に貢ぐために家宝を売ってしまったことがバレて、自分の財産を夫に押さえられてしまったレストー夫人と、自分の財産を黙って夫に使われて、取り戻せば破産してしまうニュッシンゲン夫人が、ゴリオ爺さんに泣きつき(夫人たちの愛人がらみを口実に、夫たちはその資産を押さえた、と思われます)、

ゴリオ爺さんは、自分の生活に必要なものまで売るなどしましたが、自分の無力さに心乱れ折れ、脳卒中で倒れ、

・しかし、姉妹は舞踏会に出るなど勝手気ままで、一文無しのゴリオ爺さんの意識が無くなるまえに間に合うことも、自分たちの薄情さにいったんは後悔しましたが、葬儀にも来ず、その費用も出さず、

ゴリオ爺さんが、愛情のない娘に育てた自分を責め、愚かしく恨めしく思い、それでもさらに娘を愛おしく想いながらも、お見舞いのない惨めな死に立ち会いました。

 

(3)参考引用

①パリの上流社会

P143 「(前略)女の腐敗がどれほど根深いか、男のくだらない虚栄心がどれほど蔓延っているか、その目でとっくりと測量するといいのです。(中略)計算高く冷徹になればなるほど、あなたは出世するでしょう。(中略)相手が男だろうが女だろうが、郵便馬車の馬のように扱えばいいのです。使えなくなったら次の中継所交換すればいいのです。(中略)あなたに興味を持つ女性を手に入れられないかぎり、ここでは何者にもなれません。(中略)でもいいですか、もし相手に本物の感情を抱いてしまったときは、それを財宝のように隠すことです。けっして相手に悟られてはいけません。すべてを失ってしまいます。死刑執行人でなくなった途端、あなたは被害者になるのです。もし万一、愛してしまったら、秘密を守りとおすことです!相手のことをよく知る前から、心を開いてはいけません。いまはまだ存在していないその愛を守りたければ、この世の中を疑うことを学ばなくてはいけません。」

P206 「(前略)社交界の止まり木に掴まるために女を誘惑するとか、良家の跡取りたちあいだに不和の種を投げ込むとか、要するに陰でこそこそ、そして個人の利益だの悦びだののためにやってのけるあらゆる卑劣な行為のどこが、信頼、望徳、愛徳といった行為に適っているだろう?(中略)きみはこの世界には揺るぎないなにかがあると信じている!人間を買いかぶらないことだ。法の網の目をよく観察してその隙間を潜り抜ければいいのさ。莫大な財産はあるが、それがどうやって築かれたものかわからないとすれば、そこには手際よく行われたがために、きれいさっぱり忘れられた犯罪があるのさ」

P218 (前略)殺されたくなければ殺さなくてはならない、裏切られたくなければ裏切らなくてはならない、まさに戦場のような道へと入っていくのだった。そこでは、良心や真心を捨てて仮面を被り、容赦のない人間を演じなくてはならない。

 

②ラスティニャックの野心と良心の葛藤、そして決心

P209 「美徳をつらぬけるのは、気高い殉教者だけだ!(中略)偉大になりたい、あるいは金持ちになりたいと望むことは、突き詰めれば、嘘をつき、服従し、へつらい、自分を殺し、おもねり、自分を偽ることにならないか?嘘をつき、服従し、へつらった人間たちの召使になることに同意することにならないか?まず奉仕しなければ、仲間にはなれますまい。いいや、やはりだめだ!おれは堂々と誠実に努力がしたい。昼も夜も精進して、ただ自らの労苦だけで出世したい。それには時間がかかるかもしれない。しかしそうすれば毎晩、邪念に煩わされることもなく、安眠できるだろう。自分の人生を見つめ、それが白百合のごとく純粋であるのを見出す以上にすばらしいことがあるだろうか?(後略)」

P473 「美しい魂というのは、この世界には長くは留まれない。実際、高潔な感情が狭量でしみったれた薄っぺらな社会とどうやって仲良くできるものだろう?」

P514 彼は墓を見つめ、そこに若者として落とす最後の涙を埋葬した。それは無垢な心が神聖な感動によって流す涙、地面に落ちると、天まで跳ね返るような涙だった。

 

③友人ビアンションのまっとうな生き方

P249 「(前略)おれたちの幸せってのはさ、どこまでいってもおれたちの足の裏と頭のてっぺんのあいだから離れやしないんだよ。その幸せに年100万フラン掛かろうが、100ルイ〔=2000フラン〕しか掛かるまいが、おれたちに知覚できることは同じなんだ(後略)」

 (2022.05)

CM 

 最後までおつきあい頂きましてありがとうございました。

では、また!