キジしろ文庫

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ツルゲーネフ「はつ恋」

あらまし

 16歳のウラジミールは、別荘で零落した公爵家の年上の令嬢ジナイーダと出会い、初めての恋に気も狂わんばかりの日々を過ごす。だが、ある夜、彼女のもとへ忍んで行く父親の姿を目撃する……。青春の途上で遭遇した少年の不思議な“はつ恋”の物語は、作者自身の一生を支配した血統上の呪いに裏づけられて、不気味な美しさを奏でている。恋愛小説の古典に数えられる珠玉の名作。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 本書主人公であるウラジミールのその父とジナイーダは、不貞によってできた愛人関係を、最後は解消・離別しなければなりませんでした。しかし、相次いで急逝したふたりは、魂となって現世のしがらみを離れることで、本来の自由を得て、それに伴う憩いを得るなど、ふたりの愛は固く結ばれたのだろうというのが、本書の結末かと思います。

 しかし、父は、P127『女の愛を恐れよ。かの幸を、かの毒を恐れよ』と、ウラジミールに宛てた手紙ように、妻との離縁など多くの障害を乗り越えてジナイーダといっしょになるというほどの、本心からの強い愛情はなかったものと伺えます。

 しかも、本書の全体を通して、愛情とは、自分の自己犠牲をも含めた感情をぶつけ、相手の心を奪い・滅ぼし、意のままにするといった強烈な力関係(支配と服従)に落としこむこと、ような恋愛観に受け取れてしまい、とても違和感をもちました(たとえば、ジナイーダは魂となって、想いをなす)。

 そしてそれは、たとえば、他を気遣うなどのやさしさや思いやり・いたわり、そして心を通わせ互いを尊敬する愛情、一人ひとりの人格や個性、ひいては生命をとても大事にする尊厳、こういった価値観や倫理観に対して、その対極となる、利己的一方的な欲求の満足(利己・快楽)と、それを求める尊大さや、その執着の存在を強く感じるからなのだろうと思いました。

 また、そこには、「正しい」ことや「善いこと」を「求める」のではなく、「強い」ことに「憧れる」社会や時代の根強さがあるのかもしれないな、とも感じました。

 

 以下は、備忘のための簡単なとりまとめです、参考まで。

(1)コケットなジナイーダの恋愛観

 別荘に越してきた主人公ウラジミール(16歳)の隣家のジナイーダ(21歳)は、世間知らずで生意気な女王様気取りの女性です。ジナイーダは、金髪の利発的な美人なのですが、近づいてくる男性達にキスをしたり・させたり、怒ったり・無視したり・からかったり・あまやかしたりをして、男性が喜んだり・悲しんだり、困惑させてはさらにキリキリと気をもませて・心を惹きつけさせています。

 このように、ジナイーダは、人の心を手玉に取って弄んでは喜んでいる女性で、しかもそのような振る舞いをする乱痴気騒ぎ(伯爵、医者、詩人、軍人などの男性達も隷属する倒錯・背徳・享楽的な酔狂状態)を繰り広げていました。しかし、このようなジナイーダだからこそ、「征服されたい」という恋愛観にも浸っていました。

P22 「(前略)・・・あたし、あなたの顔が気に入ったわ。あなたとは、仲好しになれそうな気がするのよ。でもあたしは。あなたのお気に召しまして?」

P24 彼女の目蓋がそっと上がって、またもや明るい眼がわたしの前に優しく輝きだしたかと思うと、またしても彼女はにっとあざけるように笑った。「なんでわたしを見つめてらっしゃるの」と、彼女はゆっくり言って、指を立ててわたしをおどかした。

P38「ヴラヴォー!この人にあたったわ」と、令嬢がすかさず引き取ってー「まあ嬉しい!」-そして椅子を下りると、なんともいえず晴れやかな甘い眼つきで、じっとわたしの眼をのぞきこんだので、わたしの心臓はワッとばかりに躍り立った。「あなたは嬉しくって?」と、彼女はわたしに訊いた。

P40 ああ!わたしがついポカンとして、鬼になった彼女から、したたかピシャリと指をぶたれたとき、なんという法悦をわたしは感じたことだろう!そのあとで、わざとわたしがポカンとした振りをしていると、彼女はわたしをじらそうとして、差伸べた両手に触れようともしないのだ。

P55「(前略)わたしの欲しいのは、向こうでこっちを征服してくれるような人。(後略)」

P57 ところがジナイーダは、猫が鼠をおもちゃにするように、相変わらずわたしを弄んでいた。急にじゃれついてきて、わたしを興奮させたり、うっとりささせたかと思うと、こんどは手の裏を返すように、わたしを突っぱなして、彼女に近寄ることも、その顔を眺めることも、できないような羽目に落としてしまう。

(2)ウラジミールのあどけない恋

 ウラジミールもこの興奮・陶酔状態に巻き込まれはしますが、ジナイーダへの慎ましくも、とろけるばかりの甘美な気持ちを抱きます。しかしやがて、ジナイーダが恋に落ちたことに気が付き、その誰かわからぬ者への嫉妬などの責苦が始まりました。

 そして、ジナイーダがひとり涙するところを見たり、キスの雨をされて躍り上がるような至福に達したり、逆に、翌日のジナイーダの落ち着き払った態度に、冷水を浴びせかけられたようになり、ジナイーダの目から見れば赤ん坊だ、と思う辛い気持ちにもなりました。さらに、やがて無意識に避けられるようになり、身を切られるような思いにもなりました。そしてついに、ジナイーダは、思慮深く静かで立派な姿に変って、物思いに沈むようになりました。

 実はジナイーダは、ウラジミールの父に心を寄せていました。そして、ウラジミールたちもその気配に気づき始め、ウラジミールもその存在を確証はないまでも、知るところとなります。ウラジミールは、ジナイーダの前でむせび泣きしたり(明確に相手が父だと言えてない状況です)、またジナイーダに会ったときは、火に焼かれるような思いをし、そしてむしろそれに身を任せるようにもなりました。そして、転居の別れの際の、二度と帰らぬキスの甘さを、むさぼるように味わいました。

(3)ジナイーダの犠牲的な愛

 このようなウラジミールたちと平行して、美男子で節操なく女遊びを繰り返す父が、ジナイーダを愛人としてしまいました。しかし、父が財産目当てで結婚していた年上の妻に、すぐに感づかれ・その不実を責められてしまいます(ジナイーダが恋に落ちたときに、父と言い争いをして、ジナイーダはどんな卑しいこともしかねない女(男たらし)だとウラジミールに罵ってます。あるいは、父とジナイーダが乗馬をした後の昼飯時に、どこの馬の骨だか知れないような相手と、わけのわからない場所をうろつくのは、嫌いだよとウラジミールに皮肉ります)。

 このために、家族皆が転居をしますが、父とジナイーダのふたりはコッソリとズルズルと関係をひきずります。やがて、父は、自分を愛し続けているジナイーダを、最後は強引に捨て去りました(なお、ここで、別れ話にイラつく父からのむち打ちをジナイーダは甘受します。このように、ジナイーダは父からの暴力も別れも、心から愛し、そして尽くすものとして耐え忍ぶことができました)。

 この現場を目の当たりにしたウラジミールは、自分のあどけなかった恋愛感情の自覚と、自分の全てを犠牲にできる情愛の深さや強さといった、恋の心理を半ばわかりかけました。なお、ウラジミールは、厳しく・よそよそしい、冷淡な優しさのある父を怨めしいとは思わず、むしろその偉大さを感じていました。

(4)魂としての愛情

 やがて、その後、ジナイーダからの困窮?妊娠?の手紙を父が受けとります。そして、手切金?養育費?を送ることを泣きながら妻に頼んだ後、父は急逝します。その後のジナイーダも夫人とはなりましたが、後を追うようにして、お産に伴って亡くなりました。

 そして、ウラジミールは知人の臨終に立ち会うこととなりました。そこから、ウラジミールは、父とジナイーダのふたりは、その死によってついに自由を得て、想いをとげることができるのだ、という魂としての恋に思い至りました。しかしながら、ふたりはその恵まれなかった人生に、罪の赦しを願い、苦しむばかりとなって逝ったのだろうと思い、その恐ろしさから、ウラジミールはあらためて祈りを捧げたい気持ちになりました。

 (2022.07)

CM 

 最後までおつきあい頂きましてありがとうございました。

では、また!