キジしろ文庫

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スタンダール「赤と黒」(下)

あらまし

 召使の密告で職を追われたジュリヤンは、ラ・モール侯爵の秘書となり令嬢マチルドと強引に結婚し社交界に出入りする。長年の願望であった権力の獲得と高職に一歩近づいたと思われたとたん、レーナル夫人の手紙が舞いこむ……。実在の事件をモデルに、著者自身の思い出、憧憬など数多くの体験と思想を盛りこみ、恋愛心理の鋭い分析を基調とした19世紀フランス文学を代表する名作。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 本書下巻では、ジュリヤンの高潔さが、外的世界に自己を任せて、自我の本質を見失わせつつあったことが、マチルダとの恋愛に名を借りた利己心の満足をさらに助長させ、ついには最愛の女性への発砲という罪をおかすまでに至りました。

 ジュリヤンは、孤独のなかでの死への恐れと苦しみ、そして、レーナル夫人の献身的な愛情に真にふれます。ここで、ジュリヤンは心の内面で呼び覚まされてきた本性に、ようやく目を向け感じ取ることができました。

 そこには、ぬくもりある愛情や慈しみを湛えており、そして、それは俗世から解放されてこそ真の精神性普遍性の全うができたのだろうと思いました。

 なお、蛇足ですが、王党派と自由主義者といった思想・政治体制に関わる思惑の交錯、宗教宗派の対立、都市と田舎の文化風俗の違い、複雑な恋愛心理やその過程など、本書は多岐にまたがる知識を要し、しかも複雑にからみあっておりました。なので、巻末の解説がとても参考になったと思いました。

(1)ジュリヤンが飛び込んだ上流社会 

・ジュリヤンが飛び込んだパリの上流社会では、富や名声・名誉、身分・家柄・血筋に関心を示し、サロンなどでは洗練・優雅・上品な所作振舞いが求められます(わざとらしい地位に応じた作法など)。このための礼儀作法や会話術では、労働や勉学・知力、思想などへの直接の関わりや、ムキになる・理屈っぽくなるといった活発な意見すらも卑しく不快に感じ、受け流したうえで当人を蔑みます。そして身分などの素性の悪さはもちろんのこと、その場その場の気に入らなければ、また退屈まぎれに、人をバカにしたり、冷やかしやからかい、やり玉にあげてハズすことも当たり前となっています。このようにして、貴族たちは、不当な労働の搾取を背景に、晩餐・サロンや舞踏会、観劇や散歩といった飲食や談笑・趣味などで、無意味な享楽に耽り退屈を弄びます。他方、サロンなどでは、敬服を互いに求めあう人脈やコネがつくられ、密通や内通にも至り、邪まな駆け引きや気まぐれを通じて、職の世話や取り上げといった口利き、自由主義者との結託、叙勲、政略婚などが行われ、これにより、さらに貴族の横暴、平民含めた道理や節操の欠如やその混迷、階級社会の堅牢化といったゼロサム的な悪循環が極まっていました(聖職者たちも貴族たちとほぼ同様です、少し自由主義的な熱が入ってしまいました)。

・ジュリヤンは、ピラール神父を通じて知り合った、アルタミラ伯爵の革命思想に関心を示すなどの実利を求めた学識や知力(半王政的で不信心)などが表面に出て災いしてしまいます。そして、気取りのない田舎者丸出しの不作法は、上流社会のマナーに馴染みません。また、上流階級の生き方を受け入れようとはしませんでした。むしろ、自分の野心のための何らかのチャンスを窺っていましたし、その幸いなことに、侯爵が、ジュリヤンの稀有の異才ぶりに目をかけ、勲章を与え、貴族にしてやろうとも思ってくれていました。

 そして、マチルドの奇妙な恋愛観によって、そのチャンスが生まれました。

(2)マチルドのひとりよがりの奇妙な恋愛観の満足が、ジュリヤンを人格破綻寸前まで追い詰めますが、ジュリヤンは、嫉妬心を煽るなどの心理術によって栄達します(その1/3)。

・さて、侯爵令嬢のマチルドは、容姿端麗・才気闊達、富と名声と若さに溢れ、常に注目を浴びてちやほやされ、自己中心的で虚栄心が強く、お高くとまって血の気の多い、やさしみのない冷たい心を表した目をもつ女性です。このため、取り巻きの男性貴族たちではもの足りず、愛する人の犠牲死といった異常な情熱的恋愛観などの、退屈に伴って生じた妄想を抱いています。

・このような訳で、マチルドは、晩餐を退屈に思い自分に敬意すら払わないジュリヤンに腹立てつつも興味を抱き、さらにすげない態度を示したジュリヤンに好意をもちはじめます。ジュリヤンは、当初、嫌いだった気位の高い威圧的な侯爵夫人に似たマチルドを、高慢でイヤな女と思い軽蔑すらもしていました。しかし、奇妙な恋愛観を知ったジュリヤンはマチルドと親密になり好意を抱きますが、身分の低い聞き役の扱いに作意をもってはねつけたり、マチルドの心情に疑心暗鬼にもなります。

・マチルドは、自分に盾つく気骨のあるジュリヤンとの格差愛に心惹かれ、革命指導者のような英雄幻想に酔いしれ、熱を上げます。また、愛情のない、常人にはない運命の愛すらも妄想し、虚栄心にも火が点きます。

・このようななか、マチルドからの恋の告白文をもらったジュリヤンは、これはいたずらだと思い、心境は一変するとともに、取り巻き男性貴族に対する勝利に喜びます。そして、罠を恐れながらも、名誉欲しさにマチルドの部屋を訪れます。マチルドはジュリヤンの大胆な勇気を確認したうえで、マチルドの主人ジュリヤンへの服従という屈辱と後悔がまじった、ふたりの奇妙な情熱的な愛の交歓がされました(いたずらではなかった)。

(3)マチルドのひとりよがりの奇妙な恋愛観の満足が、ジュリヤンを人格破綻寸前まで追い詰めますが、ジュリヤンは、嫉妬心を煽るなどの心理術によって栄達します(その2/3)。

・翌日以降、マチルドは、ジュリヤンが自分の主人になること(服従)を拒もうとして、冷淡になり、自尊心の強いジュリヤンとは絶交になってしまいます。ジュリヤンは、この時、マチルドを愛していることを意識したことから、もの狂わしい気持ちになりました。そこで、激高して剣を抜いたジュリヤンですが、このようにマチルドは愛人から殺されかけたことで、その情熱やりりしさに魅入られてしまいます。

・しかし、マチルドはジュリヤンの嫉妬を誘ったうえで、ジュリヤンの心境には自分に気がないと感じてしまい、ジュリヤンを完全に軽蔑してしまいました。ジュリヤンは激しい苦痛に喘ぎました。マチルドにとってのジュリヤンとは、その気になればいつでも愛してくれる目下の者と考えていました(マチルドは、特殊な状態で想いを寄せられた後には、スッカリ醒めて、高慢な女性に戻ってしまうようです)。

・さらに、マチルドは、革命と恋愛の奇妙な夢想をするうちに、ジュリヤンへの想いが込み上げてきましたが、オペラの詠唱を聞いて、気持ちに大きく抑制をかけます。

・自殺まで思いつめてしまったジュリヤンは、これ以上の不幸はないと思い、マチルドの部屋を訪れます。すると、この異様な出来事によって、マチルドは高慢だった自分の非を詫び、「あなたの奴隷」になる服従を誓い、ふたりは幸せな時間を過ごしました。

(4)マチルドのひとりよがりの奇妙な恋愛観の満足が、ジュリヤンを人格破綻寸前まで追い詰めますが、ジュリヤンは、嫉妬心を煽るなどの心理術によって栄達します(その3/3)。

・ところが翌日には、マチルドは空想から目が覚めて、「従僕との過ち」として後悔し、ジュリヤンにあたりはじめたことで、虚栄心を満足させます。ジュリヤンは心を激しく痛め、驚き、絶望しましたし、その屈辱に堪えました。

・すっかり元気をなくしたジュリヤンは、候爵に命じられた旅先で、知己のロシアの公爵から恋愛のアドバイスをもらいました。それは、侯爵邸に出入りしている、フェルヴァック夫人に言い寄る演技をして、マチルドの気を引くという作戦でした。

・冷静な頭が狂うほどになっていたジュリヤンは、つらいもののその芝居を実行するしかありませんでした。マチルドはそのジュリヤンの姿を見て、またまた気持ちが傾きます。そして、やりきれない思いを持ちながらも、気のないそぶりをするジュリヤンが気がかりになって、じらされてしまいます(フェルヴァック夫人もすっかり騙されます)。

・ついに我慢の限界に達したマチルドは、嫉妬と恋心が高慢な心を上回り、ジュリヤンの愛を求めたいことを認めます(降伏宣言)。しかし、ジュリヤンは、ここでマチルドへの恋しさにひきずられて抱きしめれば、これまで同様の絶望に至るとを考え、その気持ちを抑えて冷静になって突き放します。マチルドは召使ふぜいにはねつけられたことで、虚栄心は苦しめられ、その胸はかきむしられる思いです。ジュリヤンも恋心と快楽に酔いしれながらも自分を抑えます。このように、高慢を抑える(服従させる)理屈を伴う愛情が必要なことから、ジュリヤンは、マチルドには、愛情を悟らせずにキスをするなど冷淡に振舞うことで、マチルドの恋心を煽る心理操作を行い、その実、幸福に酔いしれていました。

(5)ジュリヤンの栄達とその転落

・やがて、マチルドは妊娠し、父の侯爵にはマチルドから告げられます。マチルドが侯爵夫人となることを望んでいた侯爵は怒り心頭となってしまいます。恩を仇で返すことをしたジュリヤンは、身を断つと侯爵に告げざるをえませんでした。ここで、これを知ったマチルドは、ソレル未亡人を名乗るとまで言いはり、また、ふたりを引き離して子供を内密に産むという穏便策に対しても、ふたりで慎ましく暮らすこと以外ないと怯みません。侯爵は、情にほだされながらも諦めのつかないまま、ジュリヤンに年金・地所を与え、さらに、マチルドの身分を考えて爵位をも与えます。ジュリヤンは、まさに野心に酔い、喜びはとめどもないものでしたが、一方、侯爵はジュリヤンの本意をつかみかねていたことから、身元照会をレーナル夫人にかけていました。

・マチルドから手渡されたレーナル夫人の返信には、財産・地位・出世のための結婚詐欺師であるという行状が綴られていました。この侮辱に対する復讐として半狂乱となったジュリヤンは、ミサの最中のレーナル夫人に発砲し、逮捕されます。

(6)ジュリヤンとレーナル夫人の、やさしみのある美しさをもつ心の永遠の結びつき

・ジュリヤンは、死に値することをしたと考えて有罪を望みました。そこで、マチルドへは、離縁・男性貴族との再婚・子供をレーナル夫人への里子に出すことをすすめますが、マチルドは気違いじみた激しい愛情で接します。それは、死ぬことが決まった人を愛したうえで後追い死するなど、世評を気にした犠牲という英雄的行為でした。これには、ジュリヤンは無感動でしたが、マチルドは強烈な官能にひたり、高慢な心に巣くってしまいます。

・その後、レーナル夫人の生存を知ったジュリヤンは、犯した罪への後悔とレーナル夫人への敬慕、そして想いをあらためて抱き、またかつての思い出によって幸福に満たされます。

・裁判では、マチルドの自分の身を危うくするような助命工作(フリレール神父の司教出世と陪審員とりなしの取引)やレーナル夫人による陪審員への嘆願、町の人たちの同情にもかかわらず、陪審員のヴァルノ氏たち富裕層の反感を買っていたジュリヤンは、ジュリヤンの求める正しい裁きであった、有罪・死刑となります。

・ジュリヤンは、気高く高潔で、誇り高い心をもっていました。なので、犯した罪を償うべく正当な罰に怯え、弱気になってしまい、意気地なしや卑怯、あさましいといった心の内を曝け出したくないことから、情状酌量や控訴・特赦を求めませんでした。しかし、ジュリヤンは、死への恐怖に苦しみ、空しく心さまよいます。

・さて、レーナル夫人は、操を外れた行為や噂に上ることなどを犠牲にしたうえで、控訴のためにジュリヤンを訪れます。ふたりには、既に発砲の件のわだかまりはありません。これまでの経験によって精神的に大きく成長してきたジュリヤンは、レーナル夫人への感謝と愛する気持ちを感じ取り、そして真心をつくし、レーナル夫人には心の内を打ち明けることもできました。このようにして、ふたりは世俗を離れたなかで、残された時間を大事にし、やさしみのある美しさをもつふたりの心の結びつきはここにきてやっと確かなものとすることができました。

・なお、マチルドは、控訴を拒むジュリヤンに持ち前の高慢によって八つ当たりをはじめたり、レーナル夫人への嫉妬とそのやるせなさから気がめいってしまいます。 

・やがて、ジュリヤンの刑は執行された後、マチルドによる葬儀が行われ、レーナル夫人は3日後に亡くなりました。

 (2022.04)

CM 

 最後までおつきあい頂きましてありがとうございました。

では、また!