キジしろ文庫

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ジェイン・オースティン「高慢と偏見」(下)

あらまし

 「世界一高慢でいやなやつ」と思われていたダーシーの、別人のような丁重な態度に驚き戸惑うエリザベス。一度プロポーズを断わった私に…。妹リディアの不始末、ダーシーの決然とした行動、キャサリン・ド・バーグ夫人の横車…。エスプリあふれる笑い、絶妙の展開、そして胸を打つ感動。万人に愛される英国恋愛小説の名作中の名作。オースティン文学の真髄を伝える清新な新訳でおくる。(文庫本裏表紙より)

 よみおえて、おもうこと

 雑感・私見レビュー:★★★星3 

《以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。》

 エリザベスとダーシーは、自己の内面に素直になって、「高慢」と「偏見」といった心への影響に分別をつけたことで、ふたりの愛情がより確かなものへと変わり、最後に、再度のダーシーからエリザベスへの求婚によって、結ばれることができました。

(1)エリザベスは、

・まず、ダーシーからの手紙によって、自分の無知と偏見(ウィッカムの好意に浮かれ、ダーシーの無視に怒るといった虚栄心が原因でした)に気づきました。そして、これに伴うダーシーへの不当な非難と非礼に対する自分への後悔と、傷つけてしまったダーシーへの同情の念を抱きます。

・次に、その後に接したダーシーの、嘲笑や非難を招きかねない商人(ガーディナー夫妻)との親交、そこでの心のこもった丁重な態度や親切、自分への敬意に驚きます。そして、ダーシーが示した、自分が行った非礼への許しと愛情への深い感謝や、それに伴う尊敬の念へと気持ちが動き、さらに、ダーシーへの好意から愛情へと変わっていきます。

・しかし、世間のもの笑いとなるベネット家の醜態(五女リディアの駆落ち)を、ダーシーに曝してしまい、ふたりの関係は終わったと思いました。そして、越えがたい溝(不名誉な家柄、軽蔑すべきウィッカムやふしだらな妹との縁続き)ができたことに、やりきれない気持ちになり、気を塞ぎ悲しみ、ダーシーを愛しく想います。また、この駆落ちの件で恩義を受けたダーシーについては、ベネット家への同情とその名誉を救うために、自分に打ち克つことのできる素晴らしい人間だとも感じていました。

・そこへ、横柄なキャサリン夫人の異常な干渉(身分や地位・家柄・財産をわきまえず、名誉や世間の信用を失わせてしまう、身の程知らずとなる、ダーシーとの結婚はあきらめろ、ということ)に対して、自分の意志で結婚相手は選ぶことを伝え、断固拒否しました。

(2)ダーシーは、

・求婚したエリザベスの言葉によって、自分の自己中心的で高慢な態度をはじめて自覚し、そして、ガーディナー夫妻に丁重に、対等に接するなど、他人への尊敬ができるようになりました。

・また、ウィッカムの悪行を知らしめなかったことが、五女リディアのふしだらな駆落ちとなり、さらにそれが、本人やベネット家の不名誉や恥さらしにまで至らしめてしまったと、品位に固執することなく、自らの過ちとして考えます。そして、ふたりの行方を捜したうえに、リディアの持参金・ウィッカムの借金返済や職の世話といった償いをし、誠実に事態にあたりました。

・さらに、姉ジェインとビングリーとの仲を裂こうしことを告白のうえ、ふたりを再会させ、結婚へとこぎつけるなど、身勝手な考えや行動を押しつけた干渉を自戒しました。

 これらすべては、エリザベスへの愛情と幸せのため、という気持ちによるものでした。

(3)その他参考、処世としての結婚という背景

・地主などの不労所得のある英国上流階級では、家事では召使や女中・下僕が仕え、日々晩餐会や舞踏会・ディナーやお茶・読書や歌ピアノさらに散歩・旅行や芝居見物に興じ、子の学業も住み込みの家庭教師か親によって教育されるなど、優雅で安閑とした自給自足の暮らしをしてました。ただし、ノブレスオブリージュ(従軍や治安判事、社会福祉などの慈善活動を無償で行う、高貴なものの責任と義務はありました。が、自らの労働に意味や価値を見出すといった、勤労・勤勉の美徳ではありません)を除けば、です。

・こうした資産の特権は、男系男子への閉鎖的な世襲や、カーストに伴う他への堅固な差別意識によって守られていました。しかし、その一方で、言葉遣いや会話術・礼儀作法などの儀礼形式や慣習・社交に溺れ、資産運営につまづき、爵位の売買や他家への吸収合併など、階級の上下間の流動性も英国では存在しました。

・そこで、本書に登場する地主階級の人たちも、家督の没落を防ぎ、より裕福となるために、より上流の者との縁に恵まれて姻戚関係を結ぶことが処世最大の事案になっていました。とくに、財産が少なく、婚姻時の持参金も見込めないベネット家の5人姉妹にとっては、結婚は、互いの愛情だけでなく、人生を生き延びる生活手段であり、現実の死活問題でした。

 (2022.03)

CM 

 最後までおつきあい頂きましてありがとうございました。

では、また!